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男性誌探訪




『男性誌探訪』
斉藤美奈子(著)
朝日新聞社 ¥1470(税込) 2003/12







週刊ポスト、ターザン、ホットドッグプレスなどの男性誌(読者層がほとんど男性であるような雑誌も含まれる)を観察した本で、アエラでの二年間の連載をまとめたもの。ぼくは週刊誌の類は一切読まないし、ここで対象にされている雑誌もほとんど読んだことがないが、とっても楽しめた。それぞれの雑誌のカラー、その間の住み分け食い分けがどのようになっているのか、これを読めばおおよそ把握できるし、その意味でも買いだよ。

斉藤美奈子、結構読まれている、知られている著者であると推察しますが、各種書評やオンラインでのレビューなどを読むかぎり、あんまりこの芸風のよさが理解されていないような。斉藤って、いろんなものを対象にして本書いてるから、いろいろやってるなあって印象をもつ人もいるかもしらんが、どれもこれもワンパターン。そう、こういう人こそ、ワンパターン、黄金のワンパターンの人と呼ぶべきでしょう。

つまりね、基本的には対象のおもしろさを拾って、それにツッコミ入れてるだけなんですよ、彼女。

世の中にあるものは、みんな基本的にボケてます。つまり、「おもしろい」「笑える」ところを持ってるわけだな。自意識過剰だったり、少しクールに俯瞰してみてたり、内輪的なノリをもってきたり、逆に外の人にも開かれたおおらかさを出そうとするあまり、中身はなんでもないスッカラカンだったり。いずれにしてもみな、あるパースペクティブから、偏ったものの見方をしてる。せざるをえない。でも、そのパースペクティブを相対化するような視点も、この世の中には確実に存在するわけですね。だから、視点Aから視点Bを見ればそれがとんでもなくダサいことのようにも見えるし、逆にBからAを見りゃあ、スカスカにも見える。どんなものにも、ヘンなところ、というかヘンであるように見えるパースペクティブが存在するわけよ。原理的にはいくらでもツッコめるの。

でも、このツッコミを芸として成り立たせようと思ったら、どれだけの能力がいることか。試しに身近にある何かのイッテル点、キテル点につっこんでみなさいな。なかなかできないですよ。ましてや、それを文章にしてちゃんと読ませる、笑わせるなんて素人さんには無理だし、プロの人でもできてる人は少ない。こういう芸ができる人として、ぼくが思いつくのはナンシー関か近田春夫か、そんなもんですね。世の中ある程度知ってなきゃ、つまり対象を相対化する対象とは別のパースペクティブを知ってなきゃツッコミ芸なんてできないんです。

斉藤の著作はまずここでいろいろ誤解されるわけですよ。ツッコミ芸ってのは対象のおもしろさに気付いてそれを拾うってものなわけだから、まずその対象のおもしろさに気付いてなきゃできない、つまり「おもしろい」と思ってなきゃできないの。なのに、それをボケてる方が喜べないで「けしからん」なんて怒っちゃったりする。「的外れ」なんてマジメに論じちゃったりする。斉藤のようなツッコミ人間に対する批判は、1.決定的な事実誤認の指摘、2.ツッコミ自体のつまらなさの指摘、3.ツッコミ返し、この3つしかしても仕方ないでしょうに。むしろつっこんでもらえない、おもしろさを拾ってもらえない、そういうところにこそ怒るべきだよ。

そこで斉藤美奈子のツッコミ、その魅力とは果たしてどんなもんなのかって話になるのだが・・・。

斉藤の本で論じられていることには、今までなかった視点というものは結構少なくて、実は「当たり前だろ」ってな点が多い。もっと言ってしまえば、暗黙の了解、それを言っちゃあ身も蓋も、そんな点についてのツッコミが多い。ってか、ほとんどそればかり。でも、そのツッコミがあまりにも的確で、真っ当なのでぼくのような読者は思わずニヤニヤしてしまうってわけ。悲しいことに誰もわざわざそういうとこツッコンでくれないからさ。この当たり前なところへのしっかりとしたツッコミがグッドジョブ、彼女の著作の魅力だと。なんか彼女のこと、「鋭い」とか「上手い」って言う人もいるけれど、ツッコミが「上手い」んじゃなくて、「上手く」つっこんでるって言うのが正確なんだと思う。この点も誤解されてるような気がするんだ。(斉藤の読者って読書好きの堅物が多そうだから、これくらいの匙加減でも、「鋭い」「気付かなかった」ってなるのかもね)

そしてもう一つ。対象(相方にできるボケ芸人)の幅広さと芸の安定感。これがいい。さきほど述べたように、斉藤はいろいろなモノを取り上げている。だけど彼女の本、いつもある一定のレベルを堅実にキープしている。斉藤の本を今までに何冊か読んできたぼくのような読者にとっては、本書のツッコミのソツのなさが少し物足りなくも感じるし、他の本に比べてもやや勢いが落ちている感はあるのだが、それでもどうして、なかなかなもの。これといったハズレがないのだ。文体というか、鋭くつっこむ、そのやり方が確立されてるってのが大きいんだろうと推察します。気分にもよるけれど、ぼくは読む本がなくなったら安心して斉藤美奈子の本を買います。斉藤ブランドはそれくらいは信用できる。

本書のツッコミは、他の斉藤本と比べれば勢いが落ちていると書いたが、ぼくはその原因は(もちろん著者のコンディションもあるだろうが)本書の企画にあるんじゃないかとにらんでいる。

えっと、つまりどういうことかというとですね、彼女「つっこむためにつっこむ」人なんですよ。さきほど名前を挙げたナンシー関と近田春夫、両者はともに「自分が好きなもの、嫌いなもの、それに理由づけをどうしてもしたい」「キライなのに理由なく嫌うのは自分として許せない」といった発言をしてるんですね。まず、好きになって、キライになって、それから理由をつけてツッコミいれてくタイプなんです。

翻って斉藤氏を見てみるに、この人、好きとかキライとかじゃない次元でツッコミいれてますよね。まずは勉強というか、どれどれちょいと覗いて見ようかってとこから始める。で、いろいろ見てって、こっちはこんなんなっちゃってるし、あっちはあんなんなっちゃってるねって言ってく。だけど、好きとかキライって明言はあまりしないの。お勉強してつっこむ、いや、つっこむためにお勉強する。斉藤美奈子は根っからのツッコミ屋、ナチュラル・ボーンなんです。

こういうツッコミ根性に溢れた人、そこがミソになってる人に、「男性誌」って広すぎるテーマはないんじゃないか。むしろ、「男性週刊誌」とか、「エロ雑誌」とか、どれも同じじゃねーの?ってくらい似ているものがたくさんあるテーマ、味噌糞一緒にされがちなテーマを与えた方が、燃えそうなもんだ。または、誰もやったことがない前人未踏のテーマとかね。要するに、この手の人は、与えられるのが厳しいタスクであればあるほど、生みだすものもおもしろくなるのではと思うのだがどうだろう。斉藤はこのままでも十分食っていけそうだが、少し飽きがきたのも事実。ここらで芸を鍛えさせる、修行に出すというのもよいと思うのだけれど。

(2003/12/17)



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