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恋愛論アンソロジー




『恋愛論アンソロジー ソクラテスから井上章一まで』
小谷野敦(編)
中公文庫 ¥940(税込) 2003/10








 『もてない男』、『バカのための読書術』などで有名な著者が編む、古代ギリシアから現代日本までの恋愛を論じた書物のアンソロジー。タイトル通り、ソクラテス、メアリ・ウルストンクラフト、スタンダール、橋本治、上野千鶴子、泉鏡花、夏目漱石などの恋愛にまつわる文章が収録されている。

 恋愛論といっても、恋愛の心得だとか、ハウツーだとか、そういったものではなく、恋愛を問題として論じてきた社会上の文脈を浮き上がらせる、恋愛のディスクールがたどった複雑な変化を捉えるといった趣旨で本書は編まれている。つまり、「真実の愛って何?」とか「愛と恋の違いって何?」、「私は彼/女とどうしたらいいの?」みたいな問いがなされる視点、恋愛を「する」視点、恋愛を「論じる」視点から離れたところ―恋愛を「論じる」視点を論じる視点(恋愛を社会科学する視点)から、このアンソロジーは作られている、そこんところゆめゆめ誤解なきように。要するに、これを読めばあなたの恋愛の直接のお役に立つかというと、それは違うということです。「先人の恋愛観に学ぶ」っちゅーのとは違うわけね。もちろん恋でお悩みの方に役に立つ可能性がないとはいえないけれど。

 ページの都合上、抄訳や部分引用が多いけれど、なかなかどうしてかなり読み応えがある。恋愛近代発明論(恋愛や、ロマンチックラブ・イデオロギーは近代社会にしかなかったという考え方)から距離をおき、当時の文章から冷静に言説が変化する経緯を追っていく編集方針、よくある誤解についての注意を促したり、編者の見解を手短に述べるコメントがよい。「昔も今も恋は恋」という乱暴なスタンスと、逆に「昔と今では全く事情が違う」というこれまた乱暴なスタンスとをともに退け、丁寧に具に見ていく本書は、「恋愛教」(小谷野『もてない男』p.176)にドップリつかっちゃってる人、それへの反動で「恋なんてインチキだ!」って叫んでは自分のルサンチマンにビクビクしてる人、双方に読んでもらいたい優れた教科書・資料集になりえている。

 『もてない男』で引用・参照された本の多くは、アンソロジーに収録されているので、乱暴な物言いが目立つ『もてない男』(本人は戦略だって言ってるけどなー)のサブテキスト、フォローとしても申し分ない。『もてない男』を読んで終いのもてない男たちにとっては本書は必読本でしょう。恋愛という憑き物を落したいんなら単にアンチではダメだということね。必要なのはこういう細かい仕事だよ。『もてない男』に快哉を叫んだクチだけれど、どうもその後も今ひとつスッキリしない、なんだか居心地が悪い、そういう人は多いと思われるけれど、そんな単純に「もてない」という状態にケリはつかないんですよね。そのことを認識しないと。

 ぼくは、「男色、女色どっちがいいの?」ってな論争に笑いました。男色野郎への最後の文句はギリシャも江戸も「子ども産めないじゃん!」だし、女色への文句は「女なんて低俗だ!」ってな物言いになるということ、それが興味深い。高群逸枝のブス・ブ男論もブッとんでていいなあ(都会をなくせとか言うのよ)。高群は文章もヘタだし、なかなか笑える。でも、こういうの笑ってすませられないというか、現在でも同じようなこと言われてたりする(ゲイの生き方は「不自然」だとかね)。現代の恋愛論の要素が、大正や明治に結構出揃っているのにも驚いた。「恋だ愛だの言ったって、所詮はやりたいだけじゃねえか!」とか思う人もあるでしょうが、斎藤緑雨(明治時代)もそう言ってますぞ。

 昭和初期や、明治大正時代の文豪の物が多くて、現代の物が少ないのがちょっと残念だし、ページ数増やしてでも、ここを充実してくれれば、さらによくなったのにとも思うけれど、これはなかなかの仕事だと思います。研究者としてはおもしろい人だなあと、小谷野氏を見直した一冊。

(2003/11/10)



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