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“ポスト”フェミニズム




“ポスト”フェミニズム

竹村和子編(2003・作品社)








 なんだかなあ。“ポスト”とか言っても、要は80年代から90年代のフェミニズムと基本的にまるっきり同じで、こう名乗る意味が最後までわからんかった。編者の竹村氏はよく新しい言葉をつけたり、作ったりが大好きみたいだけれど、無意味に言葉を増やすのには感心せんな。で、この書名や章のタイトルが無意味な命名でないとはとても思えない。とか思ったら「女性蔑視のアンチフェミニストにとっては語の使用やニュアンスなどはどうでもよく、要は「男の特権を侵食してもらいたくない」の一語に尽きるのだろう」(p.106)だとさ。うわっ、ごめんなさい!!って、そういうアジビラみたいな文章やめなさいって!!

 もう何度も書いてるけど、本当に現実に政治しようと思ったら、「一番マシな」選択を受け入れる可能性ってのを考えなければならないんじゃないかと思うのに、こういう人はすぐ「〇〇すると××を抑圧してしまう」とかなんとか、そんな批判ばかり。いや、批判はいいんですよ、大事だから。でも、それももう聞き飽きたっていうか、同じような内容の繰り返しだし、「じゃあさ、あんたはどうするのがいいと思うの?」なんて聞こうものなら、よくわからんポストモダニズム用語(と精神分析のハイブリッド)みたいなのでウダウダ言うし。現実に関わっていく気ないのか?そんな適当な用語が女性解放(このさい女性は「主体」なのか「エージェンシー」なのかどうかなんてどうでもいいや)の役に立つと思ってるのか?立たないよ!!だって理屈がムチャクチャだもの。そういうのがフェミ嫌いを増長するし、挙句の果てには同士にもそっぽむかれてしまう結果を招くのよ。日本のフェミ嫌いはメディアの陰謀だ!とだけ言ってすますわけにはいかなくなっている、半ば責任はフェミニストの方にもあるんじゃないかと、ぼくなんかは思うけどなあ。内輪だけのジャーゴントークはもうやめて、現実の世界との認識のミゾを埋める作業、同意をとりつける作業に取り組むべきときにきてるのではないか。

 そういう意味で第5章「行政フェミニズムのなかで、行政フェミニズムを越えて」で論じられていることはかなり重要な点を含んでいると思う。「アンチだけでは世の中変わらない」とか「積極的に行政に働きかけるべきだ」なんて主張には、耳を傾けなければならないだろうな。ところがそれも竹村氏の誘導尋問(というより、無理矢理なまとめ方かな?)でヘンな方向に。この人によれば「行政フェミニズム」とは行政・政策と密接に関わるフェミニズムのことらしい。で、討論内では行政に関わらないフェミニズムはありえないとみんな同意してるのね。だったら、行政フェミニズムは是か非かとか、それを超えるにはどうしたらいいか・・・なんて問題の立て方がナンセンスでしょう。具体的にどういう政策は支持でき、どういう草の根の運動が必要なのかこそが論じられるべきなんじゃないの?「××を越えて」ってなタイトルの本や対談を見かけるけれど、思うにそんなんカッコつけてるだけなんじゃないかな。もうそういうの止めにしないと、マジでフェミニズムは死にますぞ!!こういうぼくの物言いを「バックラッシュだ」とか「理論フォビアだ」なんて弾劾せずに、きっちり受け入れるべきだと思うのだけれど。

 難解な用語ばかりで理解が阻害されないようにという心遣いから、用語の解説、著名なフェミニストの思想解説が巻末にあるのだけれど、その解説もよくわからんものが多い。何も知らない人にこれを読んで理解できるかどうか尋ねたところ、みんなハニワ顔。それにせっかく用語解説までしてるのに、「ナショナル・マシーナリー」「アウトソーシング」「××フォビア」なんてカタカナ語を多様して読みにくくするし、もう何がしたいのやら・・・。ターゲットもよくわからない。フェミニズム入門用としてもキツイし、発展学習的にも得るものが少ないので、オススメできないブツだ。

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 編者の竹村和子氏はジュディス・バトラーなどの翻訳や多数の著作で有名な方。でも、ぼくはバトラーを評価していないし、竹村氏の著作もおもしろいとは思えない。上野千鶴子なんかに比べても芸がないし。

 思うにフェミニストが今後やらなあかんことは、うまい印象操作と、フェミニズムの政治学化でしょう。もうイカサマチックな理論はいいや。ぼくはこの本読んでしばらくフェミニズムの本を読むのやめようと思いました。話が全然進んでない!!

 まず、就労条件や教育の改善が最優先課題(教育の影響でで就労先にかなりジェンダー上の偏りが出てくるし、そのせいで金も違ってくるし、結果受け取る年金だとかまで影響する)。教育では特にジェンダー教育と、法教育、女性のエンパワメントね。特に法律教育は大事だと思うぞ。これがないと雇用機会均等法のザル法化が止まんないし、被害者が利益を享受できない。司法制度をいじくるのも手じゃないかな(生憎、司法制度については弱いのであまり大したこといえないけど)。で、男女共同参画基本法を活かして、どこまで国民の間に女性問題についてのコンセンサスを形成できるかが勝負でしょう。それと、PACSでもなんでもいいから、ゲイとかレズビアンのカップリングを認めてあげよう。じゃないと、ああいう人はとっても生きにくいと思う。「PACSでもなんでも、そうした制度は結婚制度を強化してしまう」って理屈もわからんではないが、どっちみちゲイ及びレズビアンの権利をなんらかの形で認めてやってからの話じゃないかなあと。どの道、そんなに大した制度じゃなければ結婚制度なんて変質せざるをえないって。ぼくはここらへんが運動の争点になると思うんだが、どうだろう。



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