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Tne Album




Tne Album
岡村と卓球
(CD・2003年12月)









 電気グルーヴの石野卓球と、まあ一般的には川本真琴のプロデューサーと言うと通りがいいのかな(よくねーか)、岡村靖幸ちゃんの二人によるユニット。名前のままですわ。意外な組み合わせでもなんでもなくて、過去にも電気のアルバムに岡村がゲストで参加したり、二人でテレクラ行ったりブルセラ行ったり(今はなき月刊カドカワでそういう特集やってた)交流はあったので、自然なコラボレーションと言えば言える。結果として、ファンが望んでいた形になったかどうかは別として。

 なんだかんだでちっともオリジナルアルバムを出さない靖幸ちゃんだけれど、今年はライブやツアーにも出て完全復活!と言われた矢先のこの作品にガッカリ。ライブの出来は聴いてないので、よいのかもしれん、しかし、これはかなりダメな出来だぞ。どうした靖幸!どうした卓球!

 岡村ちゃんといえば、あの独特なリズム性と青春の切ないエロを融合させた歌詞、それに代替不可能な歌の芸だったはず。だのに、このアルバムでの岡村靖幸はそうした良さをまったく発揮できてない。歌う言葉がハッキリと白々しいのだ。

 たとえば、第二弾シングルとしてリリースされる予定だったという『Adoventure』中の歌詞のむごさ。「気休めほどの花束、夢中でみんな欲してる/でも、キスしたいってほんとはそっと思ってる♪」って、なにそれ?「気休めほどの」には韻を踏むために使われたという、ただそれだけの意味しかないし、そもそもみんな「キスしたい」って「そっと」思ってるのだろうか。現行のポップシーンに対する批評性は全くなし。完全に時代が当時で止まっちゃってんだ。「昔の」岡村芸がズワイカニだとしたら、これはそれと似ても似つかぬカニカマボコとしか言えない代物だろう。

 トラックには<j-pop mix>ってクレジットされてるから、実は周回遅れの批評になってるのかとも深読みしたけど、そうだろうなと確信させてくれるパワーが楽曲にはない。そこを納得させてナンボでしょうに。バックのトラックも手抜き感否めないし、ブックレットなし、したがってもちろん歌詞なしっていうのも、歌詞に対する自信のなさの現れとしか読めない。岡村の声をそれとわからないくらいにまでエフェクトかけちゃった<e-pop mix>の方がなんかしっくりくるのはなんなんでしょうね。ファンとしては悲しすぎるよ、これ。

 巷では、「エロい」「ニューウェーブっぽい」と、比較的好意的な評論が目立つ本作。でも、そうじゃないでしょう。

 この二人がここで歌ってる「エロ」って、「とにかく誰でもいいから女とヤることしか頭になくって、具体的なその先がない、AV三昧な少年ティーンエイジ」、および、「想像力がティーンそのまま(勃起力は著しく低下)、たまのソープででストレス解消して、毎日会社へ向かうオヤジ」のエロでしょう。なんとなくの話、雰囲気の話で恐縮だけど、作品を聴いてても「おったててやるぜ!」しか、メッセージとして伝わってこないんですよ。昔、岡村靖幸は「好みのギャルもビデオばかり見てたなら出会う機会も失せるぜ」って歌ってたけど、なんかビデオばっか見すぎ、ソープばっか行き過ぎなんじゃないの?って訝ってしまう。

 またまた昔の話で恐縮ですが、以前の岡村は「ぼくがすごいのはセックスだけじゃないんだぜ」って歌ってた。その「だけじゃない」ってところが、重要なハズなのに。流通してるエロとは違うエロを感じる大事なポイントなのに。それなのに、このアルバムでは「だけじゃない」じゃなくなって、「だけ」「しか」だけしか存在しなくなっちゃった。結果、ぼくはちっともエロさを感じられないです。フィジカルで字義どおり刺激だけのエロさなんて、いまどき容易に手に入るもんなあ。

 「ニューウェーブっぽい」ってのも、こういう引っかかりのないアルバムに対する文句としては使い勝手がいいのだろうけど、ニューウェーブのどうしようもないショボサ、まとまりなんかハナから頭にない勝手さ、そういった楽しさが本作には全くない。確かに「ぽい」けど、ただシンプル、ひねりがないだけだもの。卓球本人に聞いても認めると思うよ。彼、なによりニューウェーブを愛してるはずだろうから。

 笑っていいとも!のテーマ曲、「ウキウキウオッチング」や、CAN(ホルガー・シューカイ)のカバー曲も、この流れで聴くと寒さしか感じられない。要するにアルバムにするには曲が足らなかったんでしょ?笑っていいとも!って・・・おっさん臭さしかないしなあ。どうせだったら、靖幸ちゃんに思いっきり歌いきってもらった方がおもろかっただろうに、歌はこれまた電気声。ハアッ(溜息)。



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