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人はなぜ迷信を信じるのか 思いこみの心理学



人はなぜ迷信を信じるのか 思いこみの心理学
スチュアート・A・ヴァイス
(朝日新聞社・1999)









 書名ズバリ。人はなぜ迷信を信じるのか、迷信を信じやすい人間はどんな人間か、迷信は社会や個人にどのような影響を与えるか、人間に内在する「思考のクセ」は一体何の役にたっているのか。本書はこうした問いに心理学の観点から様々なアプローチを用いて答えていく。迷信についての本なんだけれど発達心理学から認知心理学まで、過去の実験、臨床例など多くの研究成果に言及していて、心理学の教科書としてもとても使える。問題点や議論をスッキリ整理して論じる著者の手際のよさに感心しながら、迷信という興味深いトピックについて考えていくうちに、心理学の勉強までできて、さらに人に騙されないクリティカル思考、人を騙すためのアイデア・テクニック(?)まで学べる、まさに一石三鳥、四鳥の本。それが本書だ。

 「人間には二つのタイプがいる。人に騙されるタイプ。人を騙すタイプ。」とはプレイボーイ・円楽師匠の言葉だけど、本書を読むと人間には一つのタイプ、すなわち「騙されやすいタイプ」しかいないことがよくわかる。一体誰が騙すのか、誰を騙すのかというと、騙すのは自分であり、騙されるのも自分、要は自分で自分を騙しているのだ。人間に生まれつきインストールされてるOSは物事を正確に認識・判断するにはどうしようもないほどの欠陥品で、自然からの素直なインプットに対してさえ、このOSはねじ曲げたアウトプットを出してしまう。そのアウトプットをインプットにしてまた次のアウトプットをねじり出すわけだから、人間の心ってのは、ホント呆れる代物なのだけど、このねじまがりをまっすぐにするには、地道なトレーニングを積み続けるしかないわけで、骨が折れるし、なんとも不便なことだ。

 とかなんとか考えながら本書を読み進めていったら、そうした自分が騙す/騙される能力といったものが人間の精神の健康上必要なことなのだという研究成果が紹介されていてハッとした。鬱病患者は通常の人より「後ろ向き」な世界観を持っているから行動抑制に陥るわけではなく、むしろ通常の人より「現実的な」認識を持っているために何にも行動できなくなってしまうというのだ。現実的に考えれば、世界の中で私がコントロールできることなんてたかが知れてる。しかし、ほんとにそう思ってしまえば何もする気がおきなくなってしまうだろう。自分には××ができる、自分は〇〇をコントロールしている、そういう「思い込み」があってこそ、人は世の中、他人に積極的に、ポジティブに関わっていける。人間の「思い込み」は必要なことでもあるのだ。

 だとすると、どこで自分を騙し、どこまで自分を騙すのかが問題になってくる。ある程度自分を錯覚させないと、および腰になり適格な行動ができないが、かといって何でも自分の思い込み通りに世界がそうなっている、そう考えてしまうと、今度は適切な判断ができない。求められるのはバランスなのだろうけど、これはなかなか難しそうだ。どのように自分の思い込み、つまり心の働きとつきあっていくのがベストなのか。本書にはそうしたことを考えさせられた。

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 いやあ、この本ムチャクチャ使えるわ。心理学や社会心理学を専攻、またはそれに興味持ってる人、まずは必読でしょう。というより学問する人しない人、とにかく全ての人に読んでもらいたい素晴らしい教科書です。これ一冊で使える用語、ネタになるおもしろ事例が一気に仕入れられますよ。議論の運びが明快で、痒いところに手が届く、読んでて安心する・・・こうした本はなかなかないですよ。

 藤井留美氏による「訳者あとがき」もいい。「私たちはそんな送り手側の「信じさせたい」というトリックにまんまとのってないだろうか?」だって。ヴァイスの意向にそって、本書をきっちり締めてます。はいはい、大丈夫ですよ。この本の内容をそのまま鵜呑みにしたりはしないでーす。・・・というわけで終章のヴァイスの結論に大きく同意しながらも、違和感を持ったことなんかをここで書いておきましょうか。

 まずは「映画や小説に出てくる科学者イメージを、もっとよくしよう」ってな安易なアイデアにズッこけたこと。おそらく大学生を対象に書いたことがわざわいしてるのか、世間のみなさまの迷信深さを過小評価しちゃってないかい?(大学生は迷信深いといってるけど)。これだけ人間と迷信の密接な結びつきを論じた後で、そんなショボショボの提案はないでしょう。ぼくは一方で迷信深さを少しずつほぐしていくことも大事だと思うけど(特に大学教育をせっかく受けることができるのに、こうした批判能力を養うことができないなら、非常に残念なことだと思うけど)、そうした人間のメカニズムを前提にした話こそ、本腰をいれて議論するべきだと思う。



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