『「心のノート」を考える』
三宅晶子(著)
(岩波ブックレット・2003)

岩波書店 ISBN: 4000092952
\504
(2003/05/16)




 今、教育界では「心のノート」なるものが熱く議論されているようです。で、その「心のノート」を読み解きながら、そこに見られる様々な問題点を指摘しているのがこの本のようです。正直、不勉強にして「心のノート」なるものがあるとは、本著を読むまで知りませんでした。で、知らなかったのに、そして「心のノート」に関する本はこれしか読んでないのに、敢えていいますけど、この「心のノート」ってヤツは相当キモい! ま、どんな内容かというと知らない人も結構いるかと思われますので以下でちょっと説明します。

 「心のノート」とは文科省が小学校一年生から中学生までおよそ1200万人の児童・生徒に、約11億円かけて配布した「補助教材」だという。小学1年2年用、3年4年用、5年6年用、中学生用と4種類作成されているみたいです。オウム事件などの影響で「心の教育」の必要性が叫ばれるようになったのを背景に、1.自己の在り方を考えて、望ましい自己の形成を図る、2.身近な他の人との望ましいかかわり方を考え、自覚を深める、3.美しいもの、人間の力を超えたものなどとのかかわりを通して自覚を深める、4.様々な集団、郷土、我が国、国際社会の一員として自覚を深める、ことを目的に作られたものであるみたい。

 で、具体的な内容はというと、「むねをはっていきていこう」だとか、「今日をたのしい日にしよう」とか「心で見なければ本当のことは見えないんだよ」みたいなサン・テグジュペリの引用だとかが、爽やかで軽やかな癒し系の大自然写真をバックに展開されるとか、そんな感じ。どうです、キモくて鳥肌たっちゃわない?

 で、三宅はこうした「心のノート」にいくつかの批判を加えている。まずこれが検定を受けて通った「教科書」でも、教育委員会に認可された「福読本」でもなく、文科省からストレートにおりてきた「補助教材」なる、何がなにやらわからん身分のものであるという点を三宅は指摘する。この「心のノート」は奥付に著者や編者に関する記述が何もなされてない、そうした点でもあやふやなものだということなども批判される。

 次に、内容に関していえば、多く使われる言葉の分析(「そっと」だとか「前向き」って言葉が、このノートには何度も頻繁に登場するらしい)、話法や文章スタイルの不一致や曖昧さの分析(「あなた」「私」「私たち」といった主語をごちゃまぜでつかったり、語尾が「です」「ます」調から「だ」「である」調まで混合されて使われたり、いきなり命令文になったりするらしい)、イラストやレイアウトに見られるバイアスやキャリーオーバー効果を指摘し、こどもの心を誘導している、一部の子どもを傷つけることになると批判する。

 もうね、そういう批判とかがどーでもいいと思っちゃうくらいこのノートはキモい! それに尽きる。おそらく適当に自己肯定感と国民肯定感さえ与えれば、悪いことしない子に育つだろう、みたいな発想で作ってるのだろうが、そんなことしても意味ないって。で、主述が一貫してないような文章をバコバコ載せた「ノート」の賛否は?なんてアホな話はもうとりあえず終わりにしたいなあって思うんですよね。ぼく、この手の話、考える気にならないもん。バカらしすぎて。そんなことより早く市民教育とかそういうものをどうやって日本で実現するかとか、そんな話の方がよっぽど有益だと思うんだけど、まあアホが何人もいて、しかも教育をどうするか、その決定権をもっているようなアホが何人もいて、こういう「批判」もしなきゃいけないんだろうけどさ、「ナショナリズムの台頭だ!」みたいな批判をしてもおそらく効果はないわけで。

 この前、アメリカで使われている市民教育の教科書を読んだんだけど、すごいよ。最初のページから「あなたにはアメリカの市民として、権利と義務をもっており、これこれを自由に要求してよい。そのために役立つ能力として以下の3つのスキルを体得する」みたいな書き出し。小学校高学年、中学生対象の教科書でだよ? これに比べたら、もう「心っていいよね」「私っていいよね」「日本てステキな国よね」なんてバカの独り言にしか聞こえないって!!

 日本の教育議論、やらなければいけないことがたくさんあるのに、現状の批判だけ、しかも誰もが「アホか!」って思うようなものを批判することにあんまり意義を感じない。でも放っておくわけにもいかないし・・・。もう早く次ぎのステップに進みたいのに。

(2003/06/21)



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