『図説 拷問全書』
秋山裕美(著)
筑摩書房 ISBN: 4480037993
¥1155
(2003/04)


 中世ヨーロッパの拷問や刑罰の紹介を通して、その背後にある現代とは異なる「犯罪・罪」の捉え方を考察する本。現代に生きる私たちから見れば、一見非合理でただ残虐なだけに見える裁判や刑罰、拷問の数々だが、実はその背景に当時の社会状況を踏まえたある一定の「合理性」「規範」があることを、著者は明らかにしていく。

 キリスト教が現代からすれば考えられないほどの力を持っていた中世ヨーロッパ社会においては、犯罪は神に対する反逆であり、それを罰することは、傷つけられた神学的・社会的秩序を回復するという象徴的な意味を多分にもっていた。衆人環視のもとで刑罰が行われたのも、犯罪とされる行為に同性愛や自殺があったのも、火刑や溺死刑(火や水という神聖なエレメントを使うことで、罪の浄化がなされると考えられた)などが多かったのもこのためだったというわけだ。

 また、当時の裁判には神明裁判的なところがあった。神明裁判とは「結局神は全てお見通し」という考えをのもとに行われていた裁判のことで、「被告人が何も悪いことをしていなければ、なんらかの形で神が真実を告げてくれる」ということを前提に行われていた裁判のことだ。溺死刑など助かる可能性が結構あるような刑罰が多く、助かった場合は無罪放免となっていたことも、このことを反映している。

 実は拷問という一見非人権的な行為も、罪人の魂の救済をできるかぎり助けるための「慈善的な」措置であったという(まあ、人権って概念が近代になってから出来たものなわけだから「非」人権的ってのはそりゃそうなんだけど)。当時のキリスト教社会では、肉体は魂よりも価値が低く、魂が救われることこそが大切なことであり、自らの罪を告白したものは、罪が浄化されると考えられていた。そこで、罪人の魂をできる限り救うべく、可能な限り生きているうちに罪を告白するような措置=拷問が行われていたというのだ。

 有名な「鉄の処女」なんかに代表されるように、拷問というとどうしてもセンセーショナルな感じがして、「どんなに酷かったのかなあ」っていう野次馬根性から見てしまいがちだけど(かくいう私もそういう興味でこの本買いました)、そうした視点からはかなり距離を持っている本書には好感を持った。ことさら露悪趣味を打ち出すのではなく、あくまで中世ヨーロッパを考えることで得られる知的刺激を追求する著者に姿勢が、逆にこの本をおもしろくしてると思う。これ、ただのひどさ、ヤバさの列挙だったら、絶対最後まで読めなかっただろうし。

 ただこの本、タイトルに偽りありっていうか、問題がある。というのも、全400ページ中、拷問に関する章は第三章だけ、およそ100ページほどだけだから。「図説」って書いてあって、確かに図は多いけれど、文庫サイズなので、フィギュアが小さいし、図は地味で、あんまりおもしろいもの少ないし。編集者や著者の「でも売れたい」心が透けて見えてなんかイヤだなあ。 内容の重複も気になる。一章は概説、2章は罪について、3章は拷問について、4章は刑罰についてなんだけど、2章で紹介された話が3章や、さらには4章で、再三にわたって紹介されてるし、章が進んでも新しい論点があまり出ないのがだるい。絶対この本400ページもいらないって。

 もう少し整理されていれば、もっといい本になったのに・・・っていう気持ちが否めないです。そこらへんの手腕もこうした本の著者には求められると思うんだけど。

(2003/07/15)



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