『ジェンダーで学ぶ教育』
天野正子・木村涼子(編)
世界思想社 ISBN: 4790709922
¥1995
(2003/04)


 教育を論じる上でやっかいなのは、一体どういった教育がよい教育なのか、どういった教育政策がとられるべきなのかを、私たちが「どういった社会を目指しているか」「どういった社会に暮らしているのか」という問いから切り離しては考えられないことだ。当たり前といえば当たり前のことなのだが、それが今まであまり語られてこなかった。たとえば、苅谷剛彦は、今までの教育議論では、子どもに対する幻想、教育に対する幻想に固着するあまり、教育に関するリアルな認識がなされてこないまま、政策などが決定されていたと指摘する(苅谷『教育改革の幻想』ちくま新書・2002)。「教育」の言説、イメージのまわりを取り囲みながら、そこにずっと留まりつづける議論ばかりがなされてきたということだ。これからの教育議論は広く社会の現実と理想を見つめながらなされなければならない。

 本書が優れているはまさにこの点だ。教育というものを学校や家庭で、青少年になされるものに限定せず、ある意味、人はいつでもどこででも教育を受けているし、教育をしてもいるとの視点にたって本書は編まれている。つまり、教育を広く社会の中で捉えようとしている。こうした考えを可能にしているのが、A.ジェンダーとB.社会化という二つの分析概念である。

 社会化(socialization)というのは、おおまかにいうと、人は社会の中でのそれぞれの位置に応じて、役割や規範を内面化することを指す言葉だ。つまり、社会で生活しているだけで、社会から様々な働きかけを受けるわけで、それによって人はアイデンティティを身につけたり、アイデンティティに見合った役割をひきうけたり、自身のイデオロギーを変化させたりするということ。ということは、社会化は人が社会で生活している限り、常になされているもの、一生続くものだということになる。本書では広い意味での教育を社会化として捉えて、つまり教育=社会化と考えることで、教育を社会の全体的な文脈において論じている。 そして、その社会化の過程が男女で異なるというジェンダー論の視点にたって教育を論じている。

 この二つの概念を用いて教育を論じることにより、学校教育だけに限定していては決して見えなかった学校教育の機能や、その不平等を明らかにすることが可能になっている。たとえば、仮に学校教育の現場で、同じような教育が男女双方になされていたとしても、それまでの社会化の過程で、男女は異なった社会化を受けてしまっているため、同じ教育コンテントが異なる効果を持つようになることがわかる。また、学校教育の男女間の不平等が、その後の様々な不平等にどう繋がるのか、この点に関しても一生続く社会化の過程を追っていくことで、老後まで射程に入れて考えることが可能だ(それは老後の年金や給与、職業、ライフスタイルなどにまで及ぶ。。さらに様々なタイプの様々な社会化の段階が、それぞれどう関わりあっているのかも分析していくことができる。教育=ジェンダーセンシティブな社会化として捉えることのメリットは明らかだろう。

 テレビ、マンガ、ビデオゲームの分析など、トピックが幅広いのもそうしたアプローチにのっとっているためだ。教育を論じようとする場合、時には「美少女戦士セーラームーン」の分析も必要になってくるし、デ・ジ・きゃらっとの分析が役に立つかもしれない。こうした多様な題材を見ていると、これまでの教育議論がいかに狭い視点に立ってなされていたのかがわかる。

 本書は、初心者がジェンダー学、社会学、教育学を学ぶ上でたいへん読みやすく、ためになるという点で、優れている。が,
文句がないわけではない。穴もある。特に指摘しておきたいのは、本書で「大学や研究機関における教育」に関してほとんど(全く?)述べられてないことだ。紙幅の関係もあるだろうが、私としてはぜひともここに一章割いて欲しかった。大学でのセクハラや(アカハラだとか言われたりもする)、研究者や専攻分野の分布の偏りなどについて触れたり、、それまでの学校教育(中学、高校)からのトラッキングに関して一言あれば、さらに全体としての教育を考える上で役に立つと思われるのだがどうだろうか。

(2003/06/23)

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 まず、関連本の紹介。同じく世界思想社から出ている「ジェンダーで学ぶ社会学」は必読だと思います。社会学の様々なアプローチの仕方を非常にうまくまとめてある。人が生まれてから死ぬまで、それぞれの局面で一体どういった社会化を受けているのかについてジェンダーの視点から、つまり、男と女では受ける社会化の内容が違うという視点から解き明かしています。本書とかなり似た編集方針の本と言えるでしょう(というか、本書の姉妹本)。

 斎藤美奈子の「紅一点論」は、何度も話には聞いてたし、本屋で多少立ち読みしたんだけど、まあ予想の範囲内の内容だと思ったので、スルーしてました。本書を読んでると引用がすごくたくさんなされているのだけど、やっぱり少し読んどいた方がいいのかしら?一応チェックしておこっと。

 それはそうと、教育学部の学生とか、教育実習生とかに、ジェンダー教育とかについて教えないのはマジでまずいんじゃないの?って思います。「教育実習してきた」とか言ってるヤツがジェンダーについて知らないとか、おかしいって。「本来、教育ってのは・・・」「本来子どもってのは・・・」と言ってアツイ教育談義をしていても、そんなもん犬も食わん。気に入った言葉で気持ちよくなるんじゃなくて、各種調査・データなどを見ながら、冷静に考えることが必要だと思う。でも、現場の先生たちはそういうこと考えたり、教育内容を練ったりする時間を十分に持ててないんだよなー。現場とお上からの命令との板ばさみになっているし。言葉の真の意味でかわいそうと思う。



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