『Hの掟』
山中伊知郎・今福貴子(著) 熊本悦明(監修)
インターメディア出版 ; ISBN: 4901350447
¥1575
(2001/12)


 タイトルだけ見ると、リリー・フランキーとか田口ランディとかが書くエッセイ本みたいな感じだが、表紙イラスト、帯などからもわかるとおり、実はコンドームについてのかなりマジメな本。性病、STD(sexually transmitted diseases=性感染症)についての一通りの説明から、コンドームに関する諸情報(正しい使い方、市販コンドームの紹介・解説、グッズ販売店情報、HIV抗体検査実施機関一覧など)まで、有益で啓蒙的なコンテンツがびっしり詰まっている。

 性の低年齢化などが問題になったりする現代日本社会だが、多くの場合古いモラル対若者文化みたいな座標軸で語られがちで、性病や性教育に関する議論はあまりなされていないのが現状だろう。それに対して、本書は「もっとリアルに性をみつめること」の重要性を主張する。 たとえば『N氏は、日本の学校は、正面から性について教えるのを怠り、まるで何かのついでのように、表面だけサラッと触れるだけだったために、結果的には「性の自由化」を自然放置してしまった、といい切る』と述べてある。全くその通りだとしか言いようがない。

 性病が蔓延する大きな原因は「性に関する正しい知識の欠如」と「愛に関する歪んだ幻想」にあると思う。

 性病・STD・避妊に関しての知識がない、またはアダルトコンテンツなどから単純で間違ったイメージを持つようになったり、そういったことが原因で性の「現実」が見えなくなってしまう。ここから「中出ししてないから/顔とかに出すから平気」だとか、「私は浮気しないし、彼(女)もしないから平気」といった態度が生まれてくる。「性に関する正しい知識の欠如」の問題だ。性感染症の感染の仕方を知っていればオーラルセックスが安全なわけではないのは火を見るよりも明らかだろうし、多くのSTDの潜伏期間や各種統計データを知っていれば、「自分は遊んでないから大丈夫」などといった考えは出てくるはずがない。性に関してエンライトされてないために性病・STDが蔓延しているのは間違いないのだ。

 しかし、さらに重要で根深い問題があると思う。「愛に関する歪んだ幻想」がそれだ。

 「愛に関する歪んだ幻想」とはどういうことか。その典型的な態度は「ゴムをつけてというと/ゴムをつけると相手を性病だと疑っているようでイヤだ」といった言葉に表れる。ここでは「愛情=信頼関係=相手を疑わない」という等式が成り立っている。また「ゴムをつけると装着するのに時間がかかりセックスが盛り下がってしまう」「気持ちよくない」などの言葉には、互いの安全を確保することより、情緒的/身体的快感を求めることを優先する態度が見える。結局のところ、愛情(の表現)を「気持ちの問題」として捉え、うやむやで曖昧なものにしてしまっており、「性の現実」が見えなくなってしまっていると言える。

 性感染症には潜伏期間があるし、中には自覚症状が出にくいものもある。相手が他で病気をもらってきていないということにも何の根拠もない。「私たちだけが大丈夫」という信念には何の根拠もないのだ。そんな根拠のないことを信じてしまうとするなら、それは「愛というものに対する幻想」を持っているからなのではないか。性病など存在しないロマンスの世界に安住することは悪いことではない。しかし、同時に人はみな性病の蔓延する現実の世界でも生活しているのだということを完全に忘れ去ってしまうなら、性病蔓延を手助けすることにしかならないのだ。

 根拠のない「信頼関係=お互いの気持ち」によっかかり、ゴムをつけずに危険なセックスをするなんて倒錯してる。まずゴムをつけたりなんなりしてセーファーセックスをする努力を互いにする。そうしていく中で初めて「信頼関係=互いに対等で予測のきく交渉関係」が作りあげられていく、ちょっと考えてみればそれが当然ということがわかる。愛だの恋だのばっかりいってなんかそういうことを信じきっちゃうと、愛情関係を築くどころか、互いに病気をうつしあったり、しなくていい手術をしなくちゃならなくなるのが関の山だってことになりかねないのだ。

 本書によると、いわゆる先進諸国において唯一、日本だけがエイズの発症率が上がっているらしい。「黙ってついて来い、悪いようにはしない」なんてセリフ、いまだに日本じゃ聞くことあるけど、なんかそういう人付き合い観が愛情関係にまで持ち込まれて、そうなっちゃったんじゃないかとか思った。



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