ソーシャル・サーベイとは、キバがついている動物が、キバのついていない動物を噛み殺してしまうことである。
ソーシャル・サーベイ、「社会調査」の名の通り、若者文化や隣国の内情を、哲先生が独自の視点/話芸で図解する、ノート裏・ラクガキ漫画シリーズ(全3話)。「放送しない/放送規制がない」というノート裏メディアのメリットを最大限活かし、かわいいイラストちょこちょこ添えて、切れ味抜群の言の刃を、てるく、はのる、振り回す! 哲先生が大人漫画の領域にまで足を踏み入れた(?)危険なシリーズだ。
ノートの裏だろうが、チラシの表だろうが、哲先生の作品はできる限り公開するというのが当アーカイブのポリシー。よって、墨塗りはせずにそのままウェブにあげちゃいます。表面的な言葉遣いに対してだけセンシティブになるのではなく、心のずーっと奥の方、世界に対する作者の愛情を感じとること。お願いしますね。
たとえば「ハローワーク 死にたくない、この世に未練のある者が集う酒場」なんて物言いは、冷笑的に過ぎるんじゃないかと思う人がいるかもしれない。けれども、クッション言葉を剥ぎ取って、ネガティブ言葉を使いまくる、身も蓋もない表現をする、それは決してハローワークに通ってる人を見下げているというわけじゃあない。世の中のおもしろさをそのまま漫画にして拾ってこようとしたときに素直に出てきた文句なんだろうとぼくは考えている。だから、このシリーズ、読んでいてもぼくは意外と皮肉を感じませんでした。「確かに世の中ってこんな感じかも」みたいにニュートラルに感じたんだけど、皆様はどうすかね。
◆第1話 パンク少女の生活調査
パンク少女と周囲へのその影響について考察する第1話。2話以降と比べてハッタリが多く、社会事象について漫画でサーベイしているというよりも、サーベイ書類や、社会学的話法のパロディといったノリだ。
ただ、だからといってウソ適当ばかりかというと、存外そうでもなく、パンク少女の支出グラフのところ、「パンク少女は電車で移動する」なんて指摘には、結構説得力があるような気がする。単にお金を持ってる、持ってないじゃあなく、パンクの精神と自動車って、なんとなく相性悪そうだもんね。スタイルとして。
参考文献として挙げられているのは「ナゴムのはなし」と「ラルフのはなし」。この二つしか参考にしなかったのだとすると、パンク少女とは言いながら、これは非常に偏った人間についてウダウダ言っていると言わざるをえない。パンク少女の増加が問題かどうかの前に、ほんとに増加してんのかよと。むしろナゴムギャルは絶滅危惧種だろ。
参考文献の下にはソーシャルサーベイという言葉についての説明書きがあって、それによれば「ソーシャルサーベイとは、旅の神アポロンの足跡を追うことである」。誰か、この神託の意味がわかる人がいたら森までメールください。
◆第2話 〜百済の国の悲劇〜朝鮮民主主義人民共和国の実態
第2話では、北朝鮮の実態についてサーベイ。『北朝鮮のシステム』、『ここがヤバい!!』、『色々な人工衛星』、『将軍さまの失敗』、『将軍さまバッジ』、『もらったお米』の6本です。っんがぐぐ。内容は『ここがヤバい!!』を含め、どれもすべてヤバい!!
←ウォーリーみたいな将軍さまのお顔は常に無表情。国の危急存亡が背景にあって、これほどイラっとする表情を他に探すのは難しいと思う(ドラ21でのゲン太の表情はいい線行ってるかも)。なぁーにが「ハムニダ」か。しかもカタカナ。すっごいパチモン感だよなー。ちなみに「ハムニダ」は「〜します」みたいな意味。だから、何をするんだよ。ハムニダだけじゃわかんないよ。顔からも読み取れないだけに、わかんないと怖いよ。
とにかく延々繰り返される「人工衛星」の話がまずは白々しい。「濃縮ウランまきちらし型人工衛星」って、それ、人工衛星じゃないしなあ…っていちいちツッコむのも面倒なくらい、人工衛星だ人工衛星だと繰り返す。繰り返せば繰り返すほど、ボロが出るから、「持ってるぜ」ってしきりにアピールしてるように見える。アピールしてるんだろうな。
国連は「烏合の衆」で、日本は「人工衛星がおちただけでビクビクする弱虫」だってさ。思いっきり北朝鮮視点からの解説かと思いきや、「将軍さまの失敗」だとか、ネガティブな点にも遠慮なく触れる。でもさ、失敗って言ったら、将軍さま、こんなことよりもっと大きな失敗をたくさんしてると思うんだけど、みんなはどう思う?
「太るほど食べてもゆるされる愛すべき存在」だって。ここでの「べき」はもちろん(当然とか、「道理である」といった意味ではなく)、「〜ねばらならない」の義務用法で読んでくれよな!
しかし、これ、おもしろいっちゃおもしろいけど、本当にある国で、誇張はほとんどないんだよな。北朝鮮ってまさにマンガになるべく生まれてきたような国だな。誰がサバいてもサマにはなる、そのままいただける、そんなネタ。しかし、ネタをそのまま拾ってきて、B5ノート1枚にその賞味ポイントを器用にまとめた、その手際のよさに拍手ハムニだ。
◆第3話 図解・世界のしくみ
「現実はそのまんまおもしろいんだから、そのまんまマンガになる」。要するに、これがこのシリーズ全体の狙いだと思うんだけど、さて、そこで第3話。今度は「図解・世界のしくみ」だって。また大きく出たなあー。
←資本主義の神様。りりしい眉毛が金色の光を放つ。その両手からこぼれ落ちるポテト、アイ・ラヴィン・イッ! 市場の万物を操作する、さすがの神様も男女雇用機会均等法にはタジタジ。ほんとは安いはずのメスクワも高くなってしまう。神の思し召しに沿うために、ぼくらは家父長制を守らねばならない!?
B5ノート1枚で図解される、その世界のチープなこと、大ざっぱなこと。ところが、このチープで大ざっぱな図を読みなおしてみると、細部が妙に引っかかってきたりする。
たとえば、資本主義サイドを流れる矢印。資本主義経営者と労働者の間の矢印は「レベルアップ」もしくは「レベルダウン」でしかないというところがすごく象徴的。というか、資本主義サイドからみた適切な関係の記述になってるよね。これをコミューンサイドから見れば、労働者と経営者の間に闘争がある感じの記述になっているはず。だって労資の対立は単なるレベルの上下じゃないんだから。で、実際、コミューンサイドの矢印は「やきたてのパンとやせた土地」「お金と信仰心」と、なんだかウェットで御恩奉公的なものになっている。
レベル「アップ」、レベル「ダウン」なんて言い方されると、上下があってイヤだなあ、人間みんな横一列の平等がいいよなんて思う人がいるかもしれない。でもさ、ここでの身分のアップダウンは流動的なもので、図によればホームレスですらハローワーク次第でいずれは資本主義経営者になれるかもってことだよね。それに対してコミューンワールド。労働者は決して指導者になれないわけで、考えようによっては、労働者と指導者という固定的な階級が二つある世界なのだと言える。社会主義労働者も「みんな平等になればいいと思っている」みたいだし、「なればいい」、つまり実際は「なってない」んだろうなと。
「神に最も近い存在」とされるも、図では神から最も遠い位置にいるホームレス。矛盾しているが、本当に聖なる者は、だいたいにおいてそうした矛盾を常に内包しているものさ。…と言っても資本主義における解脱者というのはとんでもない大ウソ。解脱どころか、資本主義労働者との間を矢印でビュンビュン行ったり来たりしてるのだ。
「あかちゃん」のことを「命のみなもと」とか言ってるけど、命のみなもとっていうか、赤ちゃんって、命そのものだよな。その命そのものに忍び寄る「KiLL」の矢印。二刀流、てるくはのるの登場だ。神の使命っていいますけど、こいつのところには神からの矢印なんかないからね。あると思っている使命なんて、もう完璧ただの妄想、思い込みだよ。一定確率で開眼? されてたまるかって感じ。
あ、あと、ホームレスになっても、消費者金融にだけは手を出すな。それだけは言っときたい。絵をよく見てくれよ。「74%」って書いてある、この数字は何の数字?ってことだからな。ホームレスになりかけたら、消費者金融の前にハローワークに走れ!
え!?今日休講っチか!?
犬死知子というフリーターが、人文学部の学生を小バカにしたり、文字通り足蹴にしたりする。「人文学部」とは、哲先生が数年前に通っていた信州大学にある学部のことで、これはそこに所属する学生のダメさ加減をネタにしたマンガというわけ。『ソーシャル・サーベイ・シリーズ』とはうってかわり、ローカル・ネタのオンパレードで、ここまでハッキリした地域色の打ち出しはドグマ作品の中でも珍しい。「
L 」編と、「犬死知子の思い出アルバム」編の2編が確認されているが、アーカイブではより楽しみやすい「〜アルバム」編を公開。
←「オッス!あたし犬死知子!今日は知らないことを知りに大学に来たっチ!」(『さきがけ人文学部
L 』より)。ドグマ史上、最も喋り方に特徴のあるキャラクター、犬死知子。向上心のないやつは馬鹿だ。馬鹿は蹴っても構わない。人文学部生の頭蓋骨、サッカーボールにぴったりだってんで、これを蹴って蹴って蹴りまくる。左は得意の犬死ポーズ。みんなもマネするヒマあったら勉強するっチよ!
ローカル色が強いと言っても、この作品を楽しむために必要な前提はそう多くない。「人文学部の学生は勉強をしない」という事実さえ知っておけばOK。勉強しない、向学心がない、「文系だから」と言い訳をして数学を一切やらない。そんな人文学部生を、ヘンな話し方をするフリーター(おそらく高卒)だが、ニガテといいつつ数VCまで一応こなす犬死知子が懲らしめる。その構図、勧善懲悪の気持ちよさ。このマンガの眼目もそこにある。
A4用紙いっぱいに文字も絵も細かく描き込んだ『ソーシャル〜』に対し、『さきがけ〜』はハガキ大原稿にドスンと1コマというスタイル。1コママンガらしい、それゆえの独特のキレは、第二話、第三話あたりでいい具合に発揮されている。特に第二話。エッシャーみたいな騙し絵構造まで使って、段階踏んでとことん対象をくさす方法は敵ながら天晴れだ(ハイ、そうです。モリはこの人文学部出身です)。それに比べると第4話〜はただ殴るだけでおもしろみに欠ける。なんか本当に人文学部棟でありそうな雰囲気だし。リアル過ぎて、そういう意味でも笑えないかな。
人文学部にいたことは人生の大きな汚点? キン肉マンの肉マークってわけじゃあないだろうけど、「人文」の文字がどの人の額にも刻まれていて、これは洗っても決して落ちない。恥ずかしかったら勉強して落とすしかないのだ。
←何のヒネリもない「ボケー」のオノマトペ。ヨダレたらして頭、弱炭酸。人文学部生のおでましだ(『さきがけ人文学部
L 』より)。脳のない彼らは自己紹介すらできないため、犬死知子に「こ、高校生がいっぱいっチ!
一足はやい受験シーズンっチか!?」と言われても、開いた口をふさげない。試験を受けて大学に入るだけでは人間になれないのだ。大学に入る前、人間になる前にキョンシーはこのことに気づいていなければならない!
ちなみに知子の勤め先は、パルコのくつやさん「ヒミコ」。アパレル系のフリーターということで、おしゃれにもうるさい。出てくるたんびに服装が違う、こんなキャラクターも、ドグマにはこれまでいなかったな。ひどいヤツはおしりのズボンがやぶれたまんま電車に乗ってましたからね。
お前らの夢は本能を少しばかりこえただけじゃないか!!
お正月と言えば? そう、モチに、お年玉に、もちろん最後はバクで決まりだよな!
というわけで、みんなの大好きな正月風物詩を題材に、哲先生から垂れ流された素敵なお年玉三連発。モチは食べたら、お年玉は使ったらそれっきりだけれど、バクについてはシリーズ化、この年以降、新春恒例マンガ『ドリームイーター』として毎年描きつがれていくことになる。それではいつもの通り、1つずつ、順に作品を見ていこう。
◆おとし玉おちた
おとし玉をもらった少年が喫茶店でパフェを食べすぎ、皿洗いをするハメに。が、そこで人生の重大な真理に気づく。「あんなにおいしかったパフェも5日働けば食えるんだ――僕は、自分でかせいで好きな物を買っていけるぞ!!」。おとし玉おちた!!
哲先生らしいポジティビティ溢れる作品。
おとし玉は落ちているのかもしれないが、マンガはしっかりおちてるのかどうか…読者それぞれの判断に任せる。総額3600円の借金を返すのに5日も皿洗いをするってどうよ? そんな疑問もペンディング=答える気なしということでほったらかせて。
そうした細部に目をつむったとき、この主人公の感慨に「うんうん!」と頷けるかどうか。そこだけが勝負の直球マンガでしょう、これは。「働いたんだから食えて当たり前じゃん」と思ってしまった人。猛反省してください。働かせてもらえるということを当たり前に感じすぎ!です。
世の中には働きたくても働けない人がいるのです。ええ、そうです。失業率の高い国に住んでいたり、ある種の障害を持っていたり、様々な理由で、働きたくても働けない人はたくさんいます。
「こどもだから」というのもその理由の一つ。ぼくらは小さい頃、何度も思ったはず。働けさえすれば、と。サンタさんに頼んだプレゼントが来なかったり、おしおきで家のドアの鍵を開けてもらえなかったりすると、ぼくは決まって「働けさえすれば」と考えていたなあ。だってさ、本気で「家出してやる!」と思っても、現実の話、できないよね。路銀が尽きたらそれでお終いじゃんか。結局、そこらへんの反抗って出来レースなんだなって悟って、無性に悔しかった記憶がある。
はじめてアルバイトしてお給料もらって、これまでの自分のお小遣いで3ヶ月分くらい、欲しかったCDをいっぺんに買ったとき、自分は何かズルをしてるんじゃないかと、必要ない不安を感じたことを思い出しました。
せっかくの年初めだからね。初心に戻ってこのマンガを鑑賞してみよう。
◆もちはかせ
さて、トリロジーの第二作目は、かわいいかわいいもちはかせの登場だ。マルコ・ポーロの記録を見て、「ジパングにあるモチがポリマーなのではないか」との仮説のもと、晩年を「ポリマーでもちをつくる」研究に捧げ、最終的にチューインガムを発明した博士の一代記…って、自分で書いてて何がなんだか本当にわかんないや。ポリマーがもちなの? ポリマーで作ったのがもちなの?どっちなの?
うーん、 あまりマジには考えないでおこうっと。
マルコポーロの記録を見て、もち=ポリマー説を思いつく博士の大脳も尋常ではないけれど、このマンガを描いているときの哲先生も尋常ではなかったなあ。たまたま描いている場に居合わせたのだけど、1コマ描いては自分の描いたマンガを見て、笑いがとまらなくなってしまい、しばらく休憩。また1コマ描いては腹を抱えてヒーヒー言うの繰り返しだった。それで出された完成品がコレだよ?
正直、マンガの前に「大丈夫か、この人は」と思うよなあ。
個人的なハイライトは、やっぱりもちはかせと軍部との衝突シーンかな。銃を突きつけ研究の中止を要求する兵士に、ハッキリ、勇ましく、文頭小文字で「no」と一言、もちはかせ。権力にも負けないなんて、彼こそ学者の鑑だ。「役に立たない」からやめさせられるってのがちょっと情けない感じもするけどね。
一見なんでもなさそうに見えるが、敗戦&連合軍上陸の象徴であるチューイングガムが、実はジパング由来のもち研究から生まれたという、歴史認識のさりげないすり替えを見逃さないように。ガムを噛んでも我々は魂まで売ったワケでぁない!
もちはかせ、西洋の学者だけどね。日の丸掲げて、ファルセットで歌へ君が代。
◆ドリームイーター
記念すべき毎年恒例バク漫画の第一回。バクは夢を食べるという言い伝えを「バカバカしい」と独り否定するバク。だが、話を聞いていると、なんだかんだで、どうやらバクはやっぱり我々が「夢」と呼んでいるものを食べているみたいだ。ただ、それはバクに言わせれば夢でもなんでもない、夢のなりそこないだということになる。我々とバクとの夢観のギャップは大きいな。埋めないと。埋まるかな。
「たとえささいな事でもお前たちは能力の増加を願わなくてはならない」と言い、「ブロッコリーを食べれるようになりたい」という夢を高く評価するこのバクの価値観は、まさに哲先生本人のそれでもあるだろう。人文学部生やマイティ・ボンジャックが否定されるのは、彼らの能力が低いからではなく、彼らがそもそも能力の向上を願っていない、そのための努力をしていないからなんじゃないだろうか。
とまあ、かっこうつけてみたところで細かいところツッコミますけど、「マラソンで一番をとりたい」って夢は能力の向上を滅茶苦茶願ってませんか??
各年のドリームイーターの比較、バクのルックスの変遷などについては、ドリームイーターのコーナーでふれます。お楽しみに。
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