ゼミでの十戒



人間たちよ、以下の存在を、全力で否定しなさい


 ゼミでのダメ大学生を痛烈に、ユーモラスにカリカチュア。石像、霊媒師、狂信者、マイティ・ボンジャックといった輩が槍玉にあげられる。「十戒」といい、タイトル上に「シリーズ1」と書いてあるにもかかわらず、続編がない読みきり物。ってか、十戒を守れっていっても、十個も戒めがないんだよなあ・・・守りようがない。そもそも、十戒ってのはシリーズが全部で10作あるということなのか、全力で否定しろという存在(石像ほか)が十種類あるということなのか、それすらもはっきりしないし。

AならばB、PならばQ。ゆえにAならばQ! これがホップステップオリジナル三段論法だ! マイティ・ボンジャックの不思議な絵に注目。一体何をどこから見たらこんな構図になるんだろう? 

 哲先生のビックリマンコピーは、とっくの昔に血肉となっていて、ここでもその能力を遺憾なく発揮。シール裏に書ききれるくらいの少ない文字数で、ぼくらのコレクション欲をかきたてる! マイティ・ボンジャックの再現度の高さを見逃さないようにしよう。あの、確かに高く飛んでるんだけど、なんか動いてない感じもする独特の2D浮遊感を、非常にうまくとらえてる。小さい頃にカセット箱とか説明書とか眺めまくってないと、絶対こんな絵描けないよ。目立たないけど、ファインプレー。マイティボンジャックの表情もトラウマだしなー。









カスミマートで会った人だろ



フリーターはね、ここぞという時だけ魔法を使えるの。


 哲先生が、コミックキューだとか、あの手の雑誌の芸風を意識して描いた作品。高円寺で行われた『マンガ家香山哲』という展示会用の書き下ろし。コンビニで冷静に自分の買う物を独り言で解説する現実→ウソだろ?ってくらい幸せな展開→やっぱり夢というベタなオチという進行。同じような、というか同じ展開は『おしりやぶれたズボン』でも繰り返される(ほんと繰り返される)。『おしりやぶれた〜』を読むと、このマンガの使命はもう終ったんだなって感じ。だって、読みなおしてみると『カスミマート〜』は絵が未熟なんだもん。


 でも、気になるところも結構多くて、やっぱり読んでしまうなあ。たとえば左上の絵。哲先生の作品には、なぜか頻繁に「右手と右足一緒に前出すアクション」が見られるんだよね。コンビニがあるし、カップ麺もあるから、ここは戦後のはずなのに、歩き方だけなぜか明治以前。右上は『おしりやぶれたズボン』の一コマ。「てくてく」ってことは歩いてるはずなんだが、やはりここでも右手右足同時出し。バッグは肩がけ。


←水木プロの著作物。お借りしました。ヒトラーですら、水木マンガではこのポーズをとるという徹底ぶり。


 水木しげるの↑のようなアクションをマネしたこと、みなさんはないですか? ぼくはあります。同じように、たまに手と足一緒に出して、あくまで自然に「てくてく」ってやりたくなるときがある。どっちもフツウはとらない動きなんだけど、これを頻繁に作品内で繰り返されると、ちょっと癖になるというか、妖怪臭さが出るんだなあと思った。ジュースが並べられてるコマもずっと見てるとクセになる。ヤバ〜ッな雰囲気が出てるよね。なんかキジムナー(水木しげる)みたいなんがガサガサしてる感じで。さっき「今見ると絵が未熟」って言ったけど、それでもなかなかどうして。コンビニの背景とか熱心に描きこんでいて、「アシスタント的パワーを発揮した初めての漫画だった」というのも頷けるでき。

 作品にいつもオチがないのが哲先生の「短所」だとしたら(オチを無理矢理作ろうとすると、全然オチないというのもこの作品で実証)、題材は選ばない、なんでもおもしろおかしく描けるってところが先生の美点。ぼくは、↓のコマからの展開が大好きです。ほんとにあったらいいなって思うシチュエーションだよな、これ。派手に嬉しさを表現しないけど、「結婚してくれてありがとう」とか素直に言うところなんか、妙に嬉しくなる。入る保険をどれにするか、一緒に考える・・・いいなあ。


←うん。悔しいけど。どことなくブライス人形を思わせるコンビニの店員。妄想世界の女の子と、現実の女の子の表情の描き分けにも注目。ウェディングドレスの趣味の悪さがまたなあ…。でも、そこもかわいい! 「結婚してくれてありがとう」などの名セリフもあるけど全部妄想の中というのが悲しい。

 一度でいいから、この妄想をもっと詳細に、延々続けたマンガを哲先生に描いてもらいたいなって思う。もっともっとと思うのに、いつもすぐ小銭数え終わっちゃう(ページ切れしちゃう)し。

 要するに。何か舞台を設定する。で、マンガ描いていく。楽しくなってくる。こんなんだったらいいなあ、そういうことあったらなあというポジティブな夢想が止まらなくなる。気づいたら規定枚数に達していたり、これじゃいつまでたっても終らない、なんとかしなきゃっていう考えが一方にあって、もう一方に、「ユートピアはありえない!」(『砂の指輪』)っていう、リアル志向というか、戻ってこよう戻ってこようっていう気持ちが働いて、いつもこんな感じで終るんだと思うんだ。

 夢オチじゃなかったらどうなるのか、もっとおもしろくなるのかというと、これもまた微妙なんだけど、ぼくはいつも、最後のコマでの主人公のつまんなそーな表情にむかつきます。つまんなそーな顔してるけど、あいつ絶対家帰っても楽しいことばっか考えてるもん。ちなみに最後のコマでつまんなそーな主人公の顔が出てくるところまで『おしりやぶれたズボン』と一緒。








香山哲と薬屋さんのTOUR DE FRANCE



神様。しかも4人。ドイツ、テクノ、じじい。とにかくえらい。


 2003年、クラフトワーク来日ライブのレポート漫画。「全て録音済みのビデオ鑑賞会」で、「マシンマシンマシンマシン」と繰り返されるだけでこんだけ感動できるくらい好きなのに、ラルフとフロリアン以外のメンバーを「どうでもいい二人(本当にどうでもいい)」と言い切るファン心理は、クラフトワークを知らない人にはサッパリ理解不能だけど、知ってる人には「そうなんだよなあ」って感じだよね。 また、「神様。しかも4人…」という字句は、福本伸行調に読むことも可。「神様。しかも4人…」「ドイツ、テクノ、じじい…」「えらいんだ、とにかく…」って感じで。

 当初は全3話で完結する予定だったのだけど、3話どころか、1話1ページのみしか発表されなかった。実は第2話はほとんど完成していたのだけど、ボツになってたらしい。で、今回はじめて、ボツになった第2話の下書きを、そこはさすがアーカイブ。初公開です。

 第2話を読んだ感想。こりゃボツになるわ・・・。薬屋さんが薬をキメて(※医師からの処方があるものです)精神昂揚するとことかも「やりすぎ」な絵だし、薬名連呼もひどいな(でも、ほんとこんな歌詞なんです)。そして何より、いきなりペダル踏弥が出てくるとか、わかりにくネタばかりで、わかる人にはおもしろいのだけど、そんな人はごくごく少数。クラフトワークすらあまり知られてない(とは思わないけど、実際はあんまり聞いたことある人いないでしょう)上に、このネタでは・・・との判断は、まあ妥当でしょ。



 

↑「薬屋さんはいつも薬屋さんの世話になっていたのだった」あらぬ誤解を与えかねない危険な表現。ペダル踏弥のことを考える香山哲の表情も明らかにおかしいため、薬屋さんの世話になった薬屋さんに「どうしたの?」とまでいわれる始末。ちなみにペダル踏弥とは、その独特なヘアースタイル(ペダル刈り)と、「ツルっとフランス子守歌」のヒットで一世を風靡した人物。『ドリルキングアンソロジー』で彼の歌を聴くことができる。



「ツールドフランスを着実に再生。」って…当たり前だしな。とにかく当たり前のことにメチャクチャ感動、このマンガのテーマはそれに尽きる。というか、哲先生の作品の登場人物っていつも当たり前なことに感動して、満足して、「嬉しいなあ」「ありがとう」ってつぶやいてるよなあ。






奨学金



香山哲…限度まで借りるっ……!


   

 もう完全ラーニングしたといわんばかりの、福本タッチ第三弾。小品ながらも完成度は高いです。札束の厚み表現から、着てる服から、香山哲の後姿から、余裕を感じる完コピ度だもんな。でも、『受験創世記シネ神』『最強伝説モリ』とは、同じ福本タッチでも方向性というか、質が全然違う。単刀直入に言ってしまうと、本作のじゃパロディでなくコピーであるってこと。

 「限度まで」ってセリフとかカイジのまんまだし、↑の写真を見比べてみてもわかる通り、覚えた描きまわしをそのまま使ってる。「福本の絵柄、作風で、福本が描かないようなものを描く」のが『受験創世記〜』や『最強伝説〜』だったとすれば(福本氏は多分月の仮面を被った人物を書くことはないでしょう)、この『奨学金』は、「奨学金を借りる」場面をカイジの場面とオーバーラップさせただけなわけで。別にそれが悪いってんじゃなく、ラトルズ方向のパロディか、パロッツ方向のカバー、コピーか、なんかそんな違いがあるということです。

 むしろ、ちょっと優しそうな、コピー度の低い黒服(写真右)が、このマンガではいい味出してる。この黒服のおかげで、冒頭から福本世界に一気につかっちゃうのではなく、日常から自然に入れるようになってる。

 しかし、哲先生、コピー度の高さだけとってみても、評価されていいと思うけどなあ。数ある福本物と比べても、芸の細かさが群抜いてる。