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カイマン マイブーム 衛星放送 三匹が斬る! ピーター・フランクル 熟年離婚 ミスタードーナツ 鈴木あみ エホバの証人 ハウンド・ドッグ・テイラー 熊本ラーメン ブルバキ ボストン・ティー・パーティ 文通と南方熊楠 メモ―のだめ、REMほか ブルースは絆 白いワッカ 「のまネコ問題」 無茶苦茶な古本屋 ごあいさつ



カイマン

あー、腹立つ。森です。

一月近く前にアマゾン・マーケット・プレイスで注文した洋書がまだ届かない。出品者は個人じゃなく、カイマンって名前の会社。「アメリカマイアミから直送」というのがその謳い文句なんだが、直送どころか、送品予定日を2週間過ぎても品を送ってこない。連絡も一切なし。

不審に思ってメールで問い合わせたところ、「カイマンは世界各国にて販売しております。人気商品の場合、注文が一時期に集中し手配 にお時間がかかる場合がございます」、「配送準備にお時間がかかっており、 配送日が確定しておりません。配送予定日は確定次第早急に御連絡させていただきます」とのこと。え? 10日以内に配送でしょ? 時間がかかる? なんで? 哲学の専門書が人気商品? 解せないことが多いのでいろいろ問いただしてみた。

するといきなり「お客様の商品の配送状況をお調べいたしましたところ、今回は商品の手配ができないこと を確認いたしました。まことに申し訳ありませんが、ご注文をキャンセルさせていただく運びとなりました」なんて言ってきた。その一時間後には「キャンセルし終わりました」というメールが。遅くとも10日以内には配送するはずだった商品が、配送遅延、配送すらできない、最終的には勝手にキャンセルである。キャンセルした後は、こちらから問い合わせても全てシカト。なめとんのか。

言いたいことはいくつもあった(当然、全部言わせてもらった)。配送が確認できてない商品を「10日以内に配送」って書いたのはなんで? 商品が確保できないからキャンセルって言うけど、ぼくが注文してから断続的に同じ商品が同条件(細かい値段の変動をのぞく)でマーケット・プレイスに出品されていたし、取引を勝手にキャンセルした後も、商品が出品されていたじゃないか。返事はなし。

「ハイ、そうですか」というわけにはいかないだろう。行くもんか。アマゾンに問い合わせてみた。アマゾンからは丁寧で詳細な返答がすぐに帰ってきたぞ。現在在庫がない商品を見込み出品することは、規約違反なんだって。カイマンがやってることはこの種の規約違反である可能性があるそうだ。調査と今後の対応を、電話およびメールでアマゾンにお願いした。その他の点についても、現在、規約違反の可能性を調べ、カイマンに対して、「商品を注文した時点で在庫を確保できていたのか。YES/NOで答えろ」と問い詰めている最中です。

本一冊のしょうもない取引だが、顧客を完全になめきった態度と、規約違反に対する開き直りが許せない。カイマンを「懲らしめる」ために、可能なことは全てやっていくつもりだ。とりあえず、出品者評価に★一つでポチッ。送信。うっ…やれること少ないな。でも、泣き寝入りなんかするもんか。ちゃんとしたレスポンスがあるまではワニのように喰らいついてやる。打倒! カイマン!! はあーーーっ(ため息)。 (2005・12・06)



マイブーム

今日はぼくのマイブームについて話をしたいと思います。要するにどうでもいい話だ。森です。久しぶりの更新だったね。みんな元気?

その1 とんこつラーメン

油ギトギトなのは、もう既にキツイです。たまに食べたくなるけどさ。これからはさっぱりしたとんこつだ。とんこつラーメンの一番いいところは「替え玉」システムでしょう。一回発音したら病み付きになりますよ。得意顔、大食い選手権にでも参加しているような気持ちになって「すみません、替え玉お願いします」。皆さんもハマるはずです。

白状すると、実はとんこつラーメンの方はどうでもよかったりする。本当のお目当ては目立たないあの子、とんこつラーメン専門店に行くと必ず置いてある辛子高菜さ。辛いもの好きの森さんとしては、この辛子高菜がたまらない。ピリっとしているが、塩気はそんなでもないのが好みです。いくら食べてもタダっていうのも素晴らしい。ビバ、高菜。皆様方、九州方面にお出かけの際は、是非買ってきて下さい。金は出す。出すぜ。

その2 レコード



電車に乗ると白紐族(ハセガワ命名)がワンサカ。どうやら本当に流通してるみたいだな、アイポッド。いや、もっと流通して欲しいです。

東芝EMIがまたヘンなことし始めたんだよ。アイポッドに落として聴くことはできないが、自社製品になら落として聴ける、コピーコントロールCDを出してるんだ。ポール・マッカートニーの新作も、ストーンズの新作も、この「セキュアCD」って形式で日本盤は発売されてる。「セキュアCDはCCCDじゃない」なんてウソ言って、「コピーコントロールCDです」って表示も一切していないらしい。セコ〜ッ。マイヤヒ〜ッ。

中古屋行ったらストーンズの新作がたくさん置いてあったけど、「なんだよ、アイポッドで聴けないじゃん」で売ったヤツも多いんじゃないかな。

いよいよ混迷を深める音楽業界ですが、ぼくは別の方向に行くことに決めました。アイポッドは買わん。アナログレコードを買う。現在、80年代とか、ギリギリ70年代の安いレコードを揃えています。プレイヤーは今のところ持っていないので、ジャケがかっこいいヤツで500円以下。そんなレコードを集めてる。プレイヤーはいずれ買う。

皆さんもやるといいですよ。アイポッドの画面にジャケットが表示できるっていったって、「だから何だ」です。LPはジャケットからしてアイポッド20個分はあるんだぜ。アラ、不思議。アンディ・ウォーホルがあなたの部屋に。飾ればサマになるし、ジャンジャカ、ダラダラ、ノンストップで音楽聴くより、20分ごとに盤をひっくり返す小休止があった方が、耳も疲れない、メリハリが効くってもんだ。いい時代だよな。便利も不便も金で買える。だったら買うのは不便の方だ。「どこでも聴ける」と「ここなら聴ける」。ぼくは後者を取るぞ。

その3 ハムリンズ探し



 日本ハムのCMに登場する4人組宇宙人。ショボショボのCGアニメで、「はむそーせーじ、たーのしーなー♪」と歌う。「お店でハムリンズを探してね」と言うので、探してみたが全然見つからない。←写真の、「ハミュー」ってのだけかろうじて見つけることができたけど、そもそも日本ハム製品自体が全然並んでない。ああ、「ヤキベータ」や「ソーセージータ」はどこに…。ハムリンズのおかげで、日本ハムって意外と苦戦してるということがわかった。ありがとう、ハムリンズ。 (2005・12・02)



衛星放送

一段落。森です。

先日、大家さんが衛生放送を装備してくれたおかげで、MTVだとか、時代劇だとか見放題になりました。実は、ぼくは動くミュージシャンの姿を見たことがあまりない人なんです。ビデオとかDVDとかは買わない、借りないので、写真では知ってても、実際どういう風に演奏してるのかとか全然知らないってことが多い。

それが衛生放送だとさ、たくさんのチャンネルで、プロモクリップ流してたり、ライブの映像流してたりする。これはありがたいってんで、早速いろいろ見ているところです。昨日はロッキン・ジャパン・フェスのライブ映像をしばらく見てました。

ぼくが見たときに出ていたのが、奥田民生、アジアン・カンフー・ジェネレーション、あとバンプ・オブ・チキンかな。坂本龍一が出てきたときくらいに飽きて電源消した。←嫌いなんだもん。

ぼく、カンチガイしてたけど、アジアン・カンフージェネレーションって演奏おもしろくないんだな。もっと聴き所あるロックバンドだと思ってたけど、違った。演奏はライブということもあって、ボーカルの子は声かれちゃってるし、裏声すら出ないみたいな悲惨な状態だったけど、そういうことに目をつぶっても、旨みがなさすぎるアンサンブルだよ。イントロも長いし、もったいぶりだけが目立つんだけど。これはこのライブだけ??

結局、この手の日本のロックバンドって基本はフォークなんだと思った。ボーカルの人が曲書いてることが多くって、そのボーカルの人がフォーク気質というか。それをロック・バンドってフォーマットでやってるんだろうなと思う。別にロックじゃねえとか、ロックじゃないからダメだとか、そういう話をしたいわけではなくって、なんだかんだでみんなフォーク的テイストの楽曲をロック的フォーマットでってのが好きなんだなあと。ボーカルの人はぼくの同志、stk君に似てる。

バンプの方はライブよかったよ。なぜか知らんが麦わら帽。こういうダサさがあっても、思い込みの激しさ、言ってしまえばアーティストっぽいたたずまいが強くて、それも魅力的に見えてくるっていうか、そういうところがある。バンドでやる必然性も強く感じるし。でも、今、気付いたけど、なんで麦わら帽かっていったら、『ワンピース』が好きだから…とか、そういう理由っぽいな。やめだ。考えるのやめよう。掘らない方が幸せだ。 (2005・11・14)



三匹が斬る!

チケットくれてありが十匹。森です。とうとうと言うか、いよいよと言うか。できましたよ、調布にもブックオフが。掘り出し物があるかと思って、先日、オープン日に行ってきたんだけど…。

これがねえ、全然よくなかった。なーんも見つからん。ぼくが疲れてたからか、オープン日のため、まだ品がそろってなかったのか。ガッカリだ。最近、ブックオフの値段って「まとも」になってきてないか? ブックオフに期待しているのは正しい値付けじゃないのに。

何も見つからず帰宅するのも癪なので、適当に散歩していたら、古本屋を発見。中をのぞくと、これがすごくいい品揃えで。ぼく好みの共産主義資料もそこそこ充実しているし、安値ワゴン(\100〜ってやつな)の内容も素晴らしい。小沢昭一『私は河原乞食・考』、ナンシー関&リリー・フランキー『小さなスナック』を購入。ここにはまた来よう。と、思ったけど、道がわかんない。多分二度と行けないや。自分の方向音痴に悲しくなる。

リリー・フランキーとナンシー関の相性はいい感じ。過去に掲載されたクレアでのナンシー対談では、町山広美が特に「能力が高い」と思ったけど(言うことが鋭いんだ)、リリー・フランキーはその「からみやすさ」がいいな。(ナンシーの)対談物では一番笑えた。「5の夜」いいなあ(笑)。

最近よくドラマを見ます。『野ブタ。をプロデュース』も、『危険なアネキ』も、『鬼嫁日記』も、『1リットルの涙』も、みんな見ました(毎回見てるわけじゃない)。でも、今、一番気にいってるのは、『また又、三匹が斬る!』の再放送。

高橋英樹も、役所広司も、春風亭小朝も元から好きなんだけど、このドラマは毎回見所多すぎ。心地いいクリシェを感じさせてくれる。時代劇お約束の殺陣が終わった後の、なんでもなかったようなコメント、および反省会とか。「オレ、今日三人しか斬ってないや」とか、「終わったね」「終わったな」「行くか」「行こう」って感じのあれね。おもしろいくらい三匹が人を斬ってエクスタシーするだけじゃない。必ず後戯つき。スッとするよね。 (2005・11・02)



ピーター・フランクル

食事中、ビートルズのホワイトアルバムを聴いていたら、一緒にご飯食べてたハセガワに「このアルバムうるさい」と言われ、プッツン。何を言ってるんだ、お前は! うるさくなんかねえよ。これから「ヘルタースケルター」で一番うるさくなるんだよ(やっぱりうるさいんじゃん)! ぼくの大好きな「セクシー・セディ」の前でそんなこといいやがって。わかったよ、止めるよ、ちくしょう。まあ、メシ時に聴くなって話なんだけどね。

話がビートルズになると、すぐ熱狂、止まらない説教をはじめてしまう森です。

昨日は友人のニシオカ宅へ。食事をご馳走になる。ニシオカ、どうやらもうそろそろ誕生日らしい。あげるプレゼントがなかったので、たまたま持っていたビートルズのCDを全部プレゼント。いや、すごく気分よく酔っ払ってたもんだから。とても後悔してます(笑)。ま、大事にしてもらえれば、ビートルズ、好きになってもらえれば、それでいいっすけどね。どうせ死ぬほど聞いたし。

今日は高校のブラスバンド部の先輩がやってる白金フィルオーケストラの演奏会に行ってきました。ビックリって言ったら失礼だけど、ほんとビックリ。すっごい人入ってた。ブライアン・ウイルソンなんてガラすきだったのに。ブライアンよりよっぽど人が来てたぞ。

曲目も有名な曲、わかりやすい曲が多くて、親しみやすく、演奏も皆さん素晴らしく、演奏会に大満足でした。自分で言うのもなんだが、いい休日だったよ。皆さんもね、たまにはクラシックとかいいですよ。

帰りに新宿で大道芸をやり終え、帰宅途中のピーター・フランクルを目撃。ただのオッサンだった。ちょっとショック。ピーター・フランクルとこずえ鈴のモノマネはぼくの18番だ。やるか、路上で、ピーターのモノマネ。はい、そうです、森は芸能人に会っても感動が薄い人ですよ。 (2005・10・31)



熟年離婚

ポリスメーン〜♪ 森です。

先日の日記で、講談社現代新書についてふれたけど、結局買ってしまった。『スピノザの世界』って本。おもしろかったです。レビュー書きました。よろしければ読んでいただければと。

『熟年離婚』を見ました。渡哲也の「一人じゃ朝食も作れない」の図に爆笑。別にイメージのギャップっていうかな、それがおもしろかったんじゃなくって、わざとらしい鍋のこぼし方とか、わざとらしいフライパンの…要するに全てがワザとらしい! 本当にね、鍋をね、こうやって(腕を動かす)、外に自分で倒して、それで「ああっ!」とか言って慌てるんだ。その慌て方もすごい。図に書いたような…BGMにクラフトワーク、マンマシーンを流したくなる。

わざとらしさは21世紀の裕次郎、徳重聡(息子の役の人)にも継承されてて。こいつ、ほんとどうなっちゃうんだろう。見てたら「21世紀」と「裕次郎」ってのがそもそも語義矛盾のような気もしてきたぞ。下手だとかそういうことには、相当昔に目をつぶることに決めたけど、何を言ってるんだか聴き取りづらいのはどうしたらいいんだよ。顔も長瀬智也に似てて、じゃあ、長瀬でいいよなって話だし。

ぼくはこの徳重さんにはどんどん傲慢になって石原軍団を中から壊していって欲しいなあと思ってます。まずは、裕次郎を「20世紀の徳重聡」と呼ぶところからはじめよう。「21世紀の「20世紀の徳重聡」、徳重聡です!」ってどこにいっても自己紹介。そして、渡哲也が「裕次郎さんとカレー食べた時・・・」とか、話をするたび、あくびだな。「裕次郎ってオレに似て憎めないやつなんだよなあー」とか、どんどん偉そぶってもらいたい。どっちにしろ今後テレビに居場所なくなってくるんだから、今のうちに裕次郎ネタで遊んで、すぐに消えた方がいいって。(2005・10・21)



ミスタードーナツ

昨日ははじめてミスタードーナツのドーナツを買いました。森です。

普段全くミスタードーナツに行かないもんだから、全然システムわからないでやんの。ドーナツ多すぎ。なんたらエンゼルみたいな名前のドーナツと、なんたらドーナツみたいな名前のドーナツとウーロン茶を急いで購入。いや、ほら後ろつかえてるから。

コーヒーにしようかと思ったけど、コーヒー高かったんだもん。でも、後で気付いたことだけど、コーヒー、おかわりできるのな。そっか。そんな利点があるのか。中で長く居座るためにはコーヒーなんだな。勉強になったぞ。

隣に座っていた男女、おそらく大学の軽音部か何かであろう、ずっと音楽の話をしていた。「平井堅はテクはあるがルックスはいまいち。歌詞は猥雑」だの、「グレイは曲はまあまあだが、歌詞はいいし、ルックスはいい」だの、歌詞、曲、テク、ルックスの4次元で右(プラス)か左(マイナス)かみたいな話をぼくの嫌いな関西弁(好きな関西弁もあります)でやっていた。

いや、ほんと、それだけ。「○○はテクないし、曲もオレがかけるくらいだけど、歌詞が猥雑」、「××は歌詞は猥雑じゃないんやけど、曲がいいし、テクはまあまあ」だの。しかも、飽きずにそれが延々と続く。つーか、やたら「猥雑」ってのにこだわってたなあ。なんでだろ?

耳栓学習法開始。耳栓はいいぞ。集中できる。ミスタードーナツに限らず、最近よく耳栓をつけている。外したときが気持ちいいんだ。皆さんもぜひお試しあれ。作業がはかどるぞ。

講談社現代新書のカバーが変更になって久しいけれど、カバーが新しくなっただけなのに、なんか新鮮な感じがして、買いたくなってしまう。特に新しいデザインが気にいっているわけでもないのに。 (2005・10・19)



鈴木あみ

昨日、久しぶりにHEY!HEY!HEY!で鈴木亜美を見た。ぼくはこの鈴木亜美人気が前からよくわからないが、今は全くわからない。

鈴木亜美、歌下手すぎ。これはテクニック上の話に限定しての話だけど、もう、リズムとか音程とかを云々するのもバカらしいくらい下手だ。

ファンはそんなこと百も承知だろう。ぼくがわからないのはそのファンっていうのは、そういうこと百も承知で、じゃあ、一体、「今の」鈴木亜美の何を慕ってついていってるのかってことだ。

歌が下手なのは全く構わない。問題はその下手な歌を差し引いたら、何にも残らないってことだ。楽曲も心底つまんないし。一時の栄光の残り香か。でも、その「一時の栄光」からして内実があったのかどうか。

これは勝手に言うけど、鈴木亜美、マジメにやってないぞ。マジメにやってて、あそこまで外すってちょっと考えられない。おそらくあれは「甘え」でしょ。

甘えというのは、歌を練習してないとか、そういうことじゃなくって、鈴木亜美の存在自体が、甘えって構図でしか成り立ってないってことなんだけど。当然みんなついてきてくれる。その「当然」ってニュアンスを鈴木亜美本人からビシバシ感じる。というか、他にメッセージも能力も一切ないなか、それだけを感じる(あ、これ悪く言おうってんじゃなくて)。

なぜ当然なのか、ちっともわからない当然だけど、「なぜ」が成り立ったら「当然」ではなくなるしなあ。でも、今の鈴木亜美、「なぜ」が成り立ってしかるべきだろう。

昨日のHEY!HEY!HEYでは、千原兄弟と一緒にトークしていた。「当時のアミーゴっていったらすごかったじゃないですか」(ジュニア)。「コラコラ、失礼やないか。(人気)グーンといってたんや」(靖司)。自然に全部過去形。

鈴木亜美ファンの過去形と、ぼくの過去形って絶対ズレてんだろうな。ぼくにとっての過去形は、「当然の崩壊」なんだけど、ファンにして見れば、「過去だけど当然」なのかもしんない。下手をすると「だけど」ですらなくって、「過去これだけすごかったんだぞ」「だから当然今もこの扱いでいいんだ」って納得してそう。千原兄弟の過去形も後者に映ってるっぽかった。

思えば、活動停止前の鈴木亜美はよかった。別にその頃の彼女の歌が今に比べてよかったとかそういうことじゃなくって、すごく強い当然を感じさせてたでしょう。「あれの何がいいんだ」って発言がヤボに聞こえるところがあったっていうか、それに対して「とにかくいいんだ」で押し切れた。

今は違う。「ピークは明らかに過ぎたのに」って言えちゃう。「当然だ」と思う人と、「当然じゃあない」と思う人とのパワーバランスが変化しちゃって、「とにかく」だけで押し切れない、というか、押し切れないはずなんじゃないか、押し切れちゃいけないんじゃないかって疑問が出てくる。ところがどうやら「押し切れる」って判断がなされているらしい。そして、そこのギャップを説明する意思も、説明できるものも、鈴木亜美に一切ない。

鈴木亜美を見るのが前よりしんどくなってる。「でも、ピークは…」って付け足せる分。

通常、アイドルにおけるピークって、なんとなくでしか把握してないっていうか、はっきりとしたその印があるわけじゃない。ピークを断定できる瞬間には、そんなヤツどーでもよくなってる、気付いたときには既に映らなくなってるってわけだ。本人のたたずまいもそれに合わせて変化せざるをえないし。

ところが、鈴木亜美の時空は、ひょんなことから、どこかでねじれてしまった。そして、その「どこか」がどこなのか、タチの悪いことにハッキリしてる。活動休止期間中だ。ピークは活動休止前だ。みんなあそこで「終わったな」と一回判断下したはずだ。

なのに、鈴木亜美本人、およびファンの認識では、当時のセーブ・データをそのまま引き継げているってことになってるらしい。貯金が一切目減りしてない。下手すっと利子分ちょっぴりプラスになってるって考えてる。そういう認識で活動してる。

好きでもないアイドルを見るとき、「今をときめいている人だから」と自分を納得させることができるのが唯一の救いなのに。鈴木亜美に対しては、それも無理。本当にときめいてたのは「あの頃」だから。

リバイバルというには古さが足りないし、復活劇というには説明が足りない。文字通りの活動「再開」ってことかよ。自然にもう一度走りはじめた。だから、それ、なんで走れてるんだ。理由なんてあるわけないのに、なきゃおかしい、エクスプレイン、プリーズと思うこの心をどうにかしてくれ。そんなぼくの前に当然な顔の鈴木亜美。だからなんで? (2005・10・18)



エホバの証人

エホバの証人になぜか寛容な森です。

だって大変そうなんだもん。あれ、毎月ノルマ決められてるらしいじゃないか。入信する気は一切ないが、ちょっと相手をしてあげるだけで、彼女のノルマが少しでも減るんなら、できる協力はしてあげようってことだ。とりあえずエホバが来てもムゲには追い返さず、機関誌のポスティングくらいは許している。

エホバに寛容なのにはもう一つ理由がある。『ものみの塔』『目ざめよ!』のクオリティが非常に高いんだ。正確に言うと、クオリティ高いって点では、他の宗教も負けちゃいない時があるとも言えるんだけど、クオリティ「維持」って点から見ると、断然エホバ、ってこと。

今回の『ものみの塔』の特集。これがよかった。「悪魔実在するか」だって。

いいなあ。「が」とか「は」を入れないんだ。「悪魔実在」とくっつけるこのセンス。マネしたくなる感じがやっぱり抜群でしょ。特集のタイトルが「悪魔実在するか」なのに、悪魔は実在するとの前提で本編の話が進むっていうのはご愛嬌。

「「悪魔」という語は、宇宙に存在する何らかの抽象的な破壊力を指すのでしょうか」。

この文句もいいなあ。形而上学臭の出し方が上手いよ。翻訳なのかな。それっぽいけど。でもねえ、今回一番気にいった文句はこれ。

「絶対に仮面を取ろうとしない人の正体を見破るのはとても難しい」

まず使ってるボキャブラリーが平易。言っていることもヘンじゃない。仮面って「正体を隠す道具」みたいな意味でしょ。でも、別にトリビアルじゃない。っぽいけど。口に出して言いたくなるよね。 (2005・10・17)



ハウンド・ドッグ・テイラー

夢を持とう! ヨーコも言ってる。森です。

おなかが痛くて痛くて。昨日は眠れませんでした。繊細な神経だとかそういう高尚な理由では全くなく、単に「食いすぎ」だというのがなあ。でも、尋常じゃない痛みだったぞ。夜中、ウンウン言ってた。

ブックオフに行く。激安CDないかなあって探していたら、ハウンド・ドッグ・テイラーのベスト盤を発見。1000円だった。これ、安いんじゃないの? 安いよね? 購入。今、聴いてる。いや、もう、かっこよすぎ。

ぼくがそんなに頻繁にブックオフに行くのには実は理由がある。探しているものがあるからなんだ。ハウンドドッグテイラーではない。ぼくが探しているCD。それは「サクラ大戦」のサントラだ。相当恥ずかしいが、ぼくはあのテーマ曲が大好きなんだな。「あーくを、けちらしーてー、せいぎをしめすのーだー」。この「のーだー」が好き。ちなみにゲーム自体は一切やったことなし!

いや、見つかるには見つかるんだ。ただねえ、高い。さすがにサクラ大戦に1000円は出せないよ。300円だな。300円だったら買わせて欲しい。で、「ゲームサントラ」の棚を見るとあるじゃないか、サクラ大戦。400円。ぐわっ。ちょっぴりオーバー。でも、いいや、あ、やっぱ、やめとこう…。

悩んで棚からサクラ大戦を持ち出してはまた元に戻すということを繰り返してると、自分の背後からオレンジレンジの「花」が聞こえてきた。ヘタクソでムナクソ悪い歌聴かせやがって。この野郎。しかし、オレンジレンジってこんなに歌下手だったっけ? 音の鳴り方も店内有線の感じではない。

なんと驚いたことに、有線ではなく、生歌だった。ガキがヘッドホンつけて、大きな声で歌ってるんだわ。ちょっと「ふふん♪」って思わず歌っちゃった。そういう次元じゃなかった。完全に「自分ショー」してた。フルコーラス歌いきってたもの。チラっと様子を伺ったら、向こうもこっちに気付いてくれた。でも、歌はやめてくれない。ぼくに思いっきり聞こえてるのを理解した上で、ショーを続けるんだ。

怒りとかイラつきを感じるというより、「そういうことできる人間ってどんなヤツなんだろう」という興味がわいた。しばらく観察してたけど、中学校の野球部員だな、あれは。しかも、ちょっと前に部活やめたって感じだ。

結論が出たところで、興味が覚めた。どうでもいいや。やっぱりここでサクラ大戦、買っておこうと決意し、もとあった棚のところまで行くと、CDがなくなってる! しまった。先越された。いないと思ってたけど、狙ってるヤツいたんだ。それであんなに高いんだ。納得。

いや、納得いかないぜ。また買えなかったじゃないか。誰か、どこかでサクラ大戦安いのみつけたら教えてください。森が買いに行くから。 (2005・10・15)



熊本ラーメン

昼ごはん、家で作るのも面倒だったものだから、近所でお店を探していると、目立たないところにラーメン屋が一軒。熊本ラーメンだそうだ。試しに入ってみる。うあ、店長しかいない。

熊本、つまりは九州だからとんこつがおすすめなのかな。とんこつラーメンを探すが、メニューにそれらしき名前は見当たらない。塩ラーメンとか、醤油ラーメンしかないんだ。仕方ないので「醤油ラーメンお願いします」と言ったら、それまで無言だった店長がいきなり話しかけてきた。

「うちはね、熊本ラーメンのお店なんですよ。ですので、最初に食べるのはとんこつラーメンがよろしい、おすすめしますけれど」

え? とんこつラーメンあるの? まあ、そりゃそうだよな。熊本ラーメンだもんなあ。「いや、探したんだけど、とんこつ見当たらなかったから、醤油とか言っちゃったんです。あるんだったらとんこつがいいです。とんこつが食べたかったんです」。すると店長、「じゃあ、ラーメン1つでよろしいですね」って言うんだわ。


そこでふと気付いたんだ。要するに、熊本でラーメンって言ったらそれはとんこつなんだ、とコイツは言いたいのではないか。「とんこつ」ラーメンを探しても見つからないはずだ。ぼくがフツーのラーメンだと思ってるのは、ヤツらの語法で行くと「醤油ラーメン」ってことになるみたいなんだな。そう、ご存知の通り、ぼくはこの手のローカル性の押し出し大嫌いだ。

あのねえ、そういうよくわからん地方性を東京で出さなくていいの。そういうのが一番田舎モノっぽいヒネクレ根性なのよ。わかる? ラーメンつったら、<フツーの>ラーメンなんだ。断じてとんこつじゃない。熊本行って、ラーメン食うときに「フツーのラーメン」がとんこつだったら、それで別に文句を言う気は一切ない。だけどなあ、ここは「東京」なんだよ! 「東京」はドーナツの中心、穴の部分なの! 偉いの! だからみんな「東京」じゃ「東京」に統一しろっての!

ぼくは汚くてゴミクソみたいな「東京」の、そのローカル性のなさ(田舎者が集まって作った<仮想の>それ)が好きなんだ。いいかい? 兵庫県出身とは言うものの大して関西弁も喋れない。引越し先の千葉県民のムラ意識、ダボ意識ともソリが合わない。そんなぼくにとって、「東京」が「ノット地方」であってくれることは素晴らしく心が落ち着くことなのよ。誰もが誰も、あんたみたいに「ふるさと」持ってるわけじゃないの。そういう人のためにも、せめておとうきょうでは、ヘンなペッペー自慢、地方ルールの誇示はやめていただけるかしら?

(これはどこに行っても「東京」を標準にしろということではない。江戸っ子は「地方っ子」。東京は地方の一つ。そういう認識だ。だから江戸っ子が「別の地方」に行って、自分の地方性を押し付けるのも、同じように気にいらない。でも、どこの地方でもない「東京」ってのもあってくれないとイヤなんだ)

架空のものではあっても、ラーメンは醤油、ゆでたまごはカチコチのヤツが標準、ノーマルなの。そんなキバらなくっても、熊本いいとこ、福島いいとこって当然素直に認めてやるから(いや、いいところだよ、実際)、みんなの心地よい「真ん中」=「東京」で、ヤボいご当地ルールを胸張って主張しないでくれ。

あ、絶対この主張、同意得られてないな(笑)。

肝心のラーメンは…おいしかったです(笑)。ごちそうさまです。ぼく、ラーメンに詳しくないし、さしたるこだわりもないんで、ラーメンについてウダウダ言うのはやめてるんだけど、変わった麺と、一生懸命作ったとんこつスープは相性よかった。オヤジは多分、イヤなヤツで(なんかねえ、愛想ないし、「ラーメン食いに来てるんだから、ラーメンを楽しめよ」みたいな哲学持ってるのをビシバシ感じる)、仲良くなれないと思うが、また行くことがあるかも。なんだそりゃ。(2005・10・14)



ブルバキ

「二コラ・ブルバキ」ってペンネームだったんだね。知らなかった。「藤子不二雄」みたいなものだったんだ。一人であんなに本書いて、すごいなあって思ってたのに。森です。

『ブラックジャックによろしく』12巻を読む。どんどん話がムチャクチャに。というか、もう既にドラマとして見せることをほとんど放棄してる。というのも、「対立」がわざとらしすぎるんだ。主人公斉藤先生の行動がどんどん納得のいかないものに。医療についての問題を知らせるために、都合のいい行動しかしてない。何がしたいんだ。以前、『ブラックジャックによろしく』についてはよろしくしたので、よろしければそちら参照。

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明日もしくは明後日。白木と森のロック対談が更新される予定。第1回は日本人(のオッサンオバハン)には馴染み深い、あのバンドについてだ。白木に資料となるCDを送ると、早速意義深いコメントをメールで送ってくれた。今すぐにでも話したいことが山ほどあるが、あいにく白木はネット繋いでないので、ヤツがマンガ喫茶に行くまで待たなきゃならない。で、明日マンガ喫茶に行くそうだ。

これは何度も言ってることかもしれないが、白木ほど「正しい音楽ファン」というのは、皆さん、探したってなかなかいないのですよ。

あいつがCDやレコードをどれほど持っているかは本当にわからない。「わからないくらい多く持っている」ということではない。文字通り「わからない」ということなんです。意外と少ないのかもしれない。

以前、白木の部屋に行ったことがあったが、目に入ったCD・レコードの数は数える程度。一箇所にまとまってない。あっちに3枚、こっちに5枚といった感じだ。松田聖子のLPだけ、LPプレイヤーの上に飾ってあった。後は何をどれだけ持っているかは本当に不明。意外と少ないんじゃないかと推測してる。

けれども白木の言ってることはだいたいにおいて正しいことばかりなんだ。正しいっていうのは「ぼくが納得できる」ということだけど。

「ロック」談義と言っても、一応そう言ってるだけで、ジャンルは限定しない。ワールドミュージックだったり、ジャズだったり、現代音楽だったり。おもしろそう、もしくはつまらなそうな作品を取り上げ、好き勝手言い放つ予定です。テクニカルな面は全部白木に語ってもらおうと思ってます。ぼくは素人的にハッキリした好き嫌いを打ち出すつもり。

っていうか、二人でダラダラ話すだけなんだけどね。 (2005・10・11)



ボストン・ティー・パーティ

ブックオフ、ヘビーユーザーの清水邦明です。森です。

言い忘れてた。南方熊楠、青空文庫で「十二支考」ほかいくつかの文章が読めるよ。

s1473くんが書いた『「ボストン茶会事件」は誤訳か?』。とてもおもしろい。熊楠の「「摩羅考」について」を、ぼくは「胸のすく議論」と言った。つい昨日のことさ。s1473くんの『誤訳か?』にも、文章は短いが、同様の楽しさがある。

ぼくのような、高校の歴史すらろくにやれてない人間には、歴史的な事実について、その真偽の判定は全くつかないが、思ったこと、思いつきをいくつか書く。

まず『たのもしき日本語』の影響を受けたというその会話文体にニマニマ。こういうの書かせるとほんとうまいんだから、もう。

(文体模写したわけじゃないんだろうけど)。

仮に、海に茶が投げ込まれる様子をtea partyにたとえた、それがこの名称の歴史的な由来として正しいとしてみよう。

「ボストンで茶党のことだって聞いて目ウロコした」ってなことを言ってる人のサイトをs1473くんは紹介していた。その人の言ってることが本当だとすると、少なくとも「現在、現地人の中にも「party」=「党」と考えているヤツがいる」ということになる。

そうすると、ネーミングの由来としては「茶会」が正しくても、現地人、ネイティブの結構な数がBoston tea partyの由来を間違っていたりするわけだから、現在アメリカ語の翻訳としては、「間違って茶党とも使われる」余地を考慮に入れた訳語を考えるべきだと言えないだろうか。

もちろん、そう考えても「茶党」よりは「茶会」の方が訳としてはマシだとぼくは思うな。だって「会」には「会議」だとか「××の会」ってな使い方があるのに対し、「党」には「お茶会」的ニュアンスを出すことがほとんどできないから。

でもねえ。何にせよ、現代アメリカ語の現代日本語への、それよりベターなこの語の翻訳というのをぼくは考えました。

そう、「Boston tea party」は「ボストン・ティー・パーティ」と訳すのが一番いい!

これだけの日本人が「茶会だって? ほんと英語知らないんだから。ここでのパーティってのは「でもくらてぃっく・ぱーてぃー」って言うときのパーティなの!」なんて「指摘」できるんだぜ? ぼくも高校生の頃、「これ、ひょっとしたら「党」って意味のパーティなんじゃないの?」と思ったことがあった。

それにs1473くんが指摘するとおり、ドラクエもFFもある日本、「ホイミンをパーティに加えた」という意味も、「昨日バースデイパーティをした」という意味も、既に両方自然に使っていると考えていいんじゃない? 少なくとも「傾城」なんていう、立派に辞書に載ってる日本語(元中国語?)より、認知されてると思うんだけど。

カタカナ語の意味が、既に日本で、ある一定の意味を持って普及しているんなら、それはもう日本語。輸入元と大差ない使い方が一般的になっているのなら、輸入元の翻訳としてカタカナ語をそのまま使っちゃうってのは「アリ」でしょ。少なくともまず最初に考えてみるべきなのでは?

もちろん、「由来として「茶会」と「茶党」どちらが正しいか」というのは問題のまんまだけれど、ここで考えているのは「翻訳としてどうか」なんだから、もし上記仮定が正しいとするなら、「ボストン・ティー・パーティ」って訳が自分にはいいと思えるんだけどなあ。

「茶会」党と「茶党」党の前に強力なライバル出現。その名も「パーティ」党(“Party” party)。この新党に対して旧二党は「それでも自分の方が翻訳としていい」と、どのように反論するんだろうか。興味は尽きないが、紙幅が尽きた。以下次号。大嘘。 (2005・10・10)


文通と南方熊楠

バックスバーニーの会社だから。森です。

今、文通が流行ってる。流行ってるっていっても、自分の中で流行ってるだけだけど。つまり、まあ、わかりやすい言葉で言うと、マイ・ブームってヤツだ。香山哲先生をはじめ、希望する人とメールのやり取りをしている。

ぼくは何も考えさえしなければ、メールを書く、文章を書くのにほとんど時間がかからない。タイピングが速いらしい。議事録起しのバイトでも鍛えられたのかも。そう、お察しの通り、この「徒然」も「速書」活用の賜物だ。「賜物を活用せよ」と近所のホーリネス教会も言ってるしね。

この「メールやり取りしよう運動」は香山哲先生の発案だが、ぼくもぼくで、先日、南方熊楠の往復書簡を読んで「なんだ、手紙って楽しそうじゃん」と思っていたところだった。

熊楠すごいよ。感動するポイントが完璧ズレてるのは百も承知で言うが、粘菌&顕微鏡の合間に、墨と硯を使って希少本を「ファイル共有」って。超現代っ子じゃん。

ぼくらは全くの逆だな。音楽ソフトや映像、漫画の「写本」はマキーナが自動でやってくれる、一切手間かからないのに、粘菌を顕微鏡でのぞきもしなければ、集めたインプットをただただ消費するだけで、おもしろいことのカケラも考えられない。<語れない>オタクばっかりだ(オタクはいいが、だったら話芸を磨こうぜ、と言ってるんだ)。

語りたいことがある。語りたい相手がいる。それなら、その相手に直接語ればいいのだ。その上で「みんな」に言いたい、自分のメモとして残しておきたいことがあれば、それをどこかに記す、記すついでに公開するということをやればいい。全人類がブログ更新。なんかすごいことやってるような気が一瞬するときがあるが、要は道端に発した/発するはずだったノイズを、みんなが自分の時間をかけて拾ってる、ってことだ。それが悪い、やめろというのではないが、そんなことしててもあんまり世の中おもしろくならないんだな、多分。

皆さんご存知の通り、熊楠、かなりの碩学である。だけれど、そのアウトプットは単なる知識の羅列・紹介ではない。連想のトビが「この人独自」だし、話芸があるんだよね。そして、洋の東西問わないエピソード、トリビアの紹介も、非常にフェア。たとえば以下。

『マレー人が人魚を多く蓄い、毎度就いて淫し、またその肉を食うことしばしば聞き及べリ。こんなことを書くと、読者の内には、心中「それは己もしたい」と渇望しながら、外見を装い、さても野蛮な風などと笑う奴があるが、得てしてそんな輩に限り、節穴でも辞退し兼ねぬ奴が多い。すでにわが国馬関辺では、アカエイの大きなを漁して砂上に置くと、その肛門がふわふわと呼吸に連れて動くところへ、漁夫夢中になって抱き付き、これに淫し畢り、また、他の男を呼び歓を分かつは、一件上の社会主義とも言うべく、どうせ売って食ってしまうものゆえ、姦し殺したところが何の損にもならず。情慾さえそれで済めば一同大満足で、別に仲間外の人に見せるでもなければ、何の猥褻罪を構成せず。反ってこの近処の群長殿が、年にも恥じず、鮎川から来た下女に夜這いし、細君蝸牛の角を怒らせ、下女は村へ帰りても、若衆連が相手にし呉れぬなどに比ぶれば、はるかに罪のない咄なり。』(「人魚の話」―『浄のセクソロジー』p237、8 アカエイってとこだけ漢字出ないので平仮名で)

この『浄のセクソロジー』って本、前半はいろんな論考集、後半が岩田準一への書簡になってるんだが、ぼくには前半が断然おもしろい。

チンポのことをマラとか言ったりしますけれども(そこの上品なお嬢さん、知らないフリしないように。ケツがあんたを見てるよ)、そのマラの起源は何だろう?ということを考えた「「摩羅考」について」が興味深かったな。円観上人が最初に説いたという説を否定しようとするんだけれども、いろいろ考証していくと、円観誕生の19年前、27年前、49年前、60年前…458年前と遡っていってしまうくだりが圧巻。こういう胸のすく議論は読んでいて気持ちがいいな。

絶版だけど、全集に入ってるかもしれない。古本屋で見つけるのも難しくはなさそうだ。ネットでなら結構売ってる(ちょっと高い)。要するに。ちょっとがんばれば読める。是非ご一読を。

編集・解題、中沢新一。「懇切丁寧、素晴らしい解説」と言われているのをよく聞く。確かに親切。でも、熊楠の性思想をフーコーのそれ(例の「がんばってゲイになれ」的発言に表現されているような)に似たものと言うのはちょっと言いすぎかも(わかってやってんだろうけど)。

他の論集も読めば、そういうことが言えるのかもしれない。熊楠が単なる下世話な興味でこうした問題群に興味を持ったわけではないというのもその通りだが、フーコーとまでは…。単にナチュラルに、人間全体に興味を持った、いろんな国のいろんな生き様に興味を持ったということなんじゃないだろうか。それをフーコー的というのは少し口がでかいのでは、と思う。 (2005・10・09)



メモ―のだめ、REMほか

昨日のこと、覚えてましゅか? 森デス。

ああ、遅いさ。遅すぎ。でも、やっとこさ読んだよ。『のだめカンタービレ』。おもしろいね(読んでる間中、フランク・ザッパのオーケストラ人類学の話や、彼の作曲家・演奏家観のことを思い出していた)。

どのキャラも基本「しょうもない」のがよい。飛行機嫌いだとか、女好きだとか。実は相当ひどいこと、傷つくことをお互いに言い合ってるのだが、「ガーン」ってな一言で終わってる、終わらせてくれる。湿っぽいのはキライなのよ。


これがウケるということは、世の男女はこういう割かしハードなやり取りでも、「のだめ」な雰囲気さえあれば、潜在的にはキッチリ楽しめる素質というか、そういうので楽しみたいという欲求があるんじゃないかと思った。ないのは素質ではなくて、能力なのだ。周りに能力なくても、みんなを峰くんやの千秋くんのように感じさせる、必殺「のだめ」いじり開発中デス。ふぎゃー。

「のだめ」目当てに漫画喫茶に行くも、なぜか入ったときには読む気せず。ちょうど自分の座席の近くにあった『世紀末リーダー伝たけし』を読んでしまった。こんなん近日できるブックオフでいくらでも立ち読みできるのに! たけしのせいで「のだめ」、まだ三巻までしか読めてません。でも、たけしもおもしろかったです。しまぶーがコンビニの店員にふられるエピソードに涙。

その後、近所の中古屋レコード屋に行く。中古屋のオヤジがイヤなヤツで、友達との電話に夢中なのか、ぼくに対する嫌がらせか、マイケル・ジャクソンの『バッド』を店内でかけつづけた。先日、ぼくがザ・ポーグス買ってったの覚えてないのか。最後の曲が終り、「次はなんだろう」と思ったら、またマイケル。また『バッド』。超バッド。3周もバッドしやがって。

ちょっぴりあてつけの意味もある。REMの処女作『Chronic Town』のLPを購入。マイケルつっても、こっちのマイケル(・ススタイプ。REMのボーカル)だっちゅーの。ゲッツ!! LPプレイヤーないけど、ジャケでも飾っとこう(↑)。トイレにでも置いとくか(曲は既に聴いたことあるのだ)。

最新作の『アラウンド・ザ・サン』は尾藤くんがくれた。処女作のジャケを見ながら、最新作を聴く。ぼくは昔(高校生の頃)からREMが大好きなのだ。大好きではあるが、最近の作品は結構どうでもよくなってしまっている。この最新作も買わなかったぐらいだから。『アラウンド・ザ・サン』もいいメロディたっぷりの良作だが、やっぱり昔の作品が好きだ。いい意味でのイモ臭さがある(ただし、カントリー調の強い曲にはついてけない)。一聴して良さがわからないし、かなりワンパターンな曲作りなのだが、なぜか聴いてしまうのだ。

現在若者に超人気、レディオヘッドというバンドがある。レディヘのリーダー、トム・ヨークが大好きなバンド、それがREM。マイケル・スタイプは先の大統領選でもいろいろ活動していて、メディアもにぎわしたからご存知の方も多いと思う。

レディオヘッドが好きじゃないのに、REMが好きなぼく。ハッキリ言おう。マイケル・スタイプにあって、トム・ヨークにないもの。それはズバリ知性だ。今回、過去のREM作品を聴きなおして、そう思った(レディオヘッドは先日聴いた)。

REMは登場当時、非常にポリティカルなバンドだと思われてた。酸性雨や、枯葉剤のことを歌ったりしてて、まあ確かに政治的だったんだけど。でも、一方でナンセンスな歌、ラブソングも多く歌ってる。何を歌っても、政治的なようにも聞こえるし、政治の歌といいつつ、ラブソングっぽく聞こえるものもある。詞がambiguousというより、曲全体でvaguenessを感じさせるというか。政治的な歌であればあるほど「プッ」と笑えるものだったりもする。プライベートな味わいのある楽曲の中にも、広く社会の有り様を感じさせるのも魅力だ。

ひるがえってトム・ヨーク。確かにマイケルに影響受けてるんだろう。それはもう聴けばわかる。でも、影響受けるポイントがセンスないよ。マイケル・スタイプのナヨナヨしたところ、それを強調しちゃった感じ。今のマイケルでも、ナヨナヨぼくちゃん度ギリギリなのに。んで、結局ミーイズムになっちゃってんだよね。確かにレディへ、今、最も重要なバンドなのかもしらんが、そこらへんが頼りない。

マイケルには、みんなが落ち込んでるときに、それと真摯に向き合いながらも、笑わかしてしまったり、進んでバカになれるところがある。オイオイ!ってことをみんなの代わりにしてるところもあるよね(あんまりやりすぎると、胡散臭いんだけど)。

ニルバーナのカート・コベインが自殺したとき、どーでもいいバカソングをギター思いっきり歪ませて歌ったり、ブッシュ再選後の最新作でも、陰鬱な内容になりそうなのに、逆にいつもより人懐っこいメロディの曲を多くしたりとかね(あ、ここらへんの名詞についてこれない人は、もうすぐ公開される白木と森の対談を読むといいよ。ちゃんと解説つけまくるので、楽しく詳しくなれるはずだ)

トム・ヨークはさあ、そこが逆で、おそらくこいつがまず最初に落ち込むでしょ。「それがみんなを代表してる」って感じでいいのかもしんないけど、それじゃぼくはおもしろくないんだよ。ステージに立ってるヤツのインテリジェンス(要するに「どこまで笑い飛ばせるか力」って意味で使ってるけど)が、隣の座席に座ってるヤツとほとんど同じって。ぼくには必要ないね。だから、トム・ヨーク、どっちかってえと、カートと同じ穴の狢でしょ。

そうなんだ、ぼくはカート・コベインも好きじゃないんだ。こいつ、人間的にはただの音楽バカ、かなり気の弱いジャンキー兄ちゃんだろう。友達にはなれそうだ。でも、カートってハッキリ言ってそれだけだよ。ま、それだけなところが実は一番いいところなんだけど(「好きじゃない」とか言いながら、よくわかってるでしょう?)。「メディアが殺した」とか言うけど、どっちみち死んでたよ。自殺してた。自殺してなかったら、ぼくが殺してたわ。うざくって。いいミュージシャンだとは思うけど、皆さん買いかぶりすぎなんじゃない?と思わなくもない。

くそっ。熊楠の話も書こうとしたのに、長くなってしまった。熊楠のメモは明日の日記にでも。

今日はかなり適当に日記書いたな。適当っていいな。まず、自分が気持ちいいよ。一応、役に立つというか、それなりのことも書けたように思うんだが。大丈夫かな。とにかく、今日はこれで失礼しますデス。ふぎー。 (2005・10・07)



ブルースは絆

そうさ、なんでも英語にしちゃえば。ちょっとかっこいいって事よ…! モリです。

先日買った石野卓球(『KARAOKEJACK』)がよい。テクノ自体は好きでもなんでもないんだが、こういうバカらしいのはいいな。ぼくは「最新であること」を音楽に一切求めていないリスナーなので、これが時流にあっていようが、そこから外れていようが、どうでもいい。4年前の作品でも余裕だ。300円。買えてよかった。

卓球とブルースブラザーズを交互に聴いてる。ブルースブラザーズのオープニング、「I Can't Turn You Loose」は、多分ぼくが一番好きな曲の一つだ。この曲を知らない人はいないだろうが、これがキライな人が果たしてこの世の中に存在するのか。ドナルド・ダック・ダンのベース、かっこよすぎ。バンド紹介のナレーション(↓)も音楽的かつ高速で、聞くとアドレナリンがチュパチュパしてくる。誰だってチュパチュパするだろう。

Good evening ladies and gentlemen and welcome to the Universal Amphitheatre. Well, here it is, the late seventies going on 1985. You know, so much of the music we hear today is all pre-programmed electronic disco, we never get a chance to hear master blues men practicing their craft anymore. By the year 2006, the music known today as the blues will exist only in the classical records department of your local library. So tonight ladies and gentlemen, while we still can, let us welcome, from Rock Island Illinois, the bluesband of Joliet Jake and Elwood Blues, the Blues Brothers.

ブルースブラザーズの例のチグハグなステップ。大事なのはたとえステップがチグハグでも、どんなに二人が離れていても、サビの時には絶対に一本のマイクを兄弟で共有する、ということだ。ブルースは絆。キメるとこさえ、キメさえすれば、後は何をやっても全てがキマるのだということを、ブルースブラザーズは教えてくれる。 (2005・10・06)



白いワッカ

貧困か? 貧困だ! ホワイトバンドをつけているかネ? つけてない! そうだろう! モリです。

「ほっとけない世界のまずしさ」…か。「ほっとけない」と聞いて楠瀬誠志郎を思い浮かべたのはぼくだけか。そうでないことを祈る。ほら、みんな忘れっぽいから。ほっとけないキャンペーンCM参加者リストの中に、当然、楠瀬入ってない。ほっとかれてる。ほっとけない。

いや、ほっとこう。どうでもいい話だった。とにかく。問題は世界の貧困である。

えっと、まず、ホワイトバンドに対する、ぼくの態度について書くことにしよう。それ、ハッキリさせておいた方が、皆さんも以下の話、わかりやすいだろうし。

ぼくは現在ホワイトバンドをつけてない。風呂上りだから、誰も見てないからってんじゃない。電車に乗るときも、白木屋入るときも、コンビニで立ち読みするときも、ナッシング・オン・手首。***とついたキズ、リスカの跡をさらしてる。今後もつける予定はない。

なぜつけないのかって? だって、これ、相当「リスキー」なんだもん。

【ほっとけないCM参加者】
中田英寿/桜井和寿/宮沢和史/TERU/MISIA/一青窈/カヒミ・カリィ/SHIHO/柳楽優弥/藤原紀香/北島康介/村上龍/中村勘三郎さん

ミスター・チルドレン桜井やSHIHOもつけてる。うわちゃ。それだけで、ぼくにはどーしてもつけられない。その「意味」からは、ぼくは死んでも逃れたい。本当にごめんなさい。もちろん今の「ごめんなさい」は、柳楽優弥くん個人に対する「ごめんなさい」です。

(気がつけば あちらこちらに カヒミカリイ。さすが「ニッチの女王」)

この運動についての問題点は既にほとんど出尽くしてる感がある。その点について、ぼくが加えて言いたいことはない。次のサイトでも参照してくれればいいよ。→ほっとけない世界のまずしさはほっとけない?(ここでなされている批判のうちのいくつかは、妥当だとは思えない。別にボランティア=無償である必要はないし、ボランティアである必要もないと思うんだけど。なんなら儲けたって構わないとさえ思う)

具体的に何するかわかんない。既得権益化するだけになる恐れもある。なのに先に金は払えないなあというのが、ぼくがホワイトバンドを「つけない」、美意識上の理由の次に大きな理由だ。まあ、これは既に皆さんが言われていることだ。

ぼくがここで言いたいのは「300円は安すぎる」ってこと。

ホワイトバンド、特に日本のそれは高いという話を聞いた。確かに。だが、みんな生産側から計算するから高いと思うんだ。買う側からコスト内訳を考えてみるべきだ。

たかが300円ぽっちで「世界の貧困をなくすという意思表示」になるって言ってるんだぞ。このお題目に文句のあるヤツはあるめえ。今時、タバコ一箱買うにも、もうちょいお金がかかることだってあるってえのに、300円で、人類史上最大の難問を「本当に解決して欲しい」と願っていることになるなんて、ハッキリ言ってこれは安すぎると思うんだ。

エゲツない言い方を許していただけるなら、費用対効果、よすぎ。300円で「ほっといてない」ことになる、つまり、それで「問題をほっとける」なら、払うやつは払う。結構なヤツが払うってことだ。逆に言えば、タダだとありがた味がないわけで、これは絶妙な値段設定だとも言える。「参加してる」という意識は持てるが、参加を渋るほどでもない。ギリギリのコスト設定。うまい。

今、「300円で」「300円で」と繰り返したけれど、それは内訳の100%が「貧困問題解決の意思表示」に使われたと仮定した場合の話だ。本当はその内訳の幾らかは「桜井さんもはめてるし」「CMがかっこいい」「流行ってるから」「とにかくおもしろそう」に使われているかもしれない。やっぱりどう考えても安すぎだ。

ぼくは「意思表示」と言って、金をとるのであれば、1つ5000円〜10000円くらいが、絶妙ではないが妥当な値段設定だと思うな。今月の携帯での通話をそこそこ控えなければ、払えないくらいの額にしないと。 (2005・10・05)



「のまネコ問題」

チャカポコ、チャカポコ。親父はひろゆき、母けいこ。モリです。

「のまネコ」問題。ほんとしょうがないことになってるな。殺害予告だって。常識的に考えて、たかがアスキーアートのために人を殺すなんてありえない。便所の落書きと同じことだとぼくは思うが、そうでもないのか。どうなんだ、世の中。→実際「そうでもない」らしい!!

「エイベックス不買運動にまで発展」って、最初からみんなエイベックスのCDなんて買ってないじゃん(あんなクソ買うわけないよなあ)。エイベックスに限らず、音楽・映像ソフトはどーせほとんど違法ダウンロードですましてるくせに。

著作権にうるさいエイベックスが自身のパクリ行為に開き直ってることがしばしば非難されてきた。しかし、2ちゃんねるの空耳フラッシュで使ってる音源に著作権はなかったのか。あっただろう。無断でコピってんじゃん。

   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< オマエモナー
  (    )  \_____
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  (__)_)

2ちゃんねるがパクリを問題にする。そのことにいつもなんか違和感を覚えるんだよなあ。

先日、2ちゃんねるのアンチ韓国系スレッドから発展した『マンガ嫌韓流』という本が出版された。信用のおける週刊プレイボーイの紹介記事によれば、この本では、韓国が日本のアニメやマンガをパクっていることを批判しているとのこと。なるほど。韓国でそういうことやってるヤツいそう。

この本はそれだけを理由に嫌韓流ということではないみたいだが、「韓国人はすぐパクる」と言って、アンチ韓国の根拠にする人は多い。(ぼく? ぼくはキムチが大好きなので親韓国です)

しかし、それを言ったら、無断で音源を使用、みなさんにバラまくというのはどうなのか。コピーとパクリは確かに違うが、じゃあコピーはいいのか。そのコピーは悪質じゃないのか。

一銭も払わない、何も生み出さないで、当然のことのようにぺらーんと大量ダウンロード、楽しむだけ楽しみ、そして「それだけ」というのは、「相当悪質なコピー行為」なんじゃないの? これは、レンタルや、友人から借りたCDを個人レベルでコピーして楽しむのとは全く違う話だ。

パクリが許せないと考える理由にはいろいろあるだろうけど、大きな理由としては1.著作権の侵害という法律上の理由と、2.「オリジネーターをないがしろにしている」というモラル上の理由。この二つがあると思う。しかし、どっちの理由にしても、多くの人にとっては、あんただってそうじゃん、オマエモナーという話でしょ。

パクリを理由にアンチ韓国を公言し、エイベックスの企業モラルを非難する一方、音源を無断で使って作られたフラッシュを見てニヤニヤ、その空耳歌詞を覚えて楽しそうに口ずさみながら、自身のPCで『NANA』を読んだり、お笑いライブを観る。フラッシュやアスキーアートを含め、人様が作ったものを全て労力ゼロで手に入れて、制作モラルがどうとか著作権とか、偉そうなこと言うなよ。

全員がそのような人ではないだろうし、今回のエイベックスの件に関しては、ぼくだってやっぱりおかしいと思う。けれども、まともな人の陰に隠れて、勝手なこと言ってるアホがどれだけいるのか。これは推測でしかないが、その手のアホが相当数紛れ込んでるんじゃないか。

そういう人の理屈は顔が見えないからこそ通る「子どもの理屈」だ。論拠として正しくても、結局自分のことしか頭にない。勝手でしかない。一人一人は法人に正当な文句が言えるが、法人はそいつらにどう文句を言えばいいんだ? 

「子どもの理屈」が大きな会社を動かしてしまうのがぼくは怖い。 (2005・10・04)



無茶苦茶な古本屋

あざーす! ラブ・イズ・コンピューター。 森です。

今日たまたま見つけた古本屋、バカみたいな値段つけてて、最高に楽しかったです。

石野卓球の『カラオケ・ジャック』が500円。ハンソンの『キラメキMMMバップ』と同じ値段。ありえないですよね。もちろん買いました。 500円かと思ったら関西訛りの店員に「300円です」と言われてビックリ。500円以上の商品は自動的に200円引きらしい。はあ?  

ポール・ウェラーの『スタンリーロード』が500円。ブランキージェットシティはオール600円。全て帯つき日本盤。もちろん、全部そっから200円引き。ちなみにチープトリックの『永遠の愛の炎』は800円。藤重政孝が1200円。オイオイ。

絶版になってる南方熊楠セレクション『浄のセクソロジー』が300円。岩波のアリストテレスが200円。こいつ大丈夫か?って値段の連発。久しぶりに興奮しました。

(すんごいセコいレベルで、森は喜んでることに注意。絶版つったって、所詮800円も出せばいつでも買えるような品。卓球も1000円以内で余裕だし)

その本屋に言わせると、どうやらとにかく『NARUTO』のコミックスをこれでもかという数集めたい、ってことらしい。下手するとNARUTOより熊楠が安い。どうかしてしまおうって価格設定だけど、お店にとっちゃあ「必要ない」んだからしょうがない。

最近、こういう古本屋を漁るのが楽しい。ぼくが見るのは文庫オンリー。別に文庫が特に好きだってわけじゃない。お金がないんだ。どんな商品でも、1000円と表示された時点で、それは決して届かぬバスケットゴール。そういう見え方になってきちゃってる。

そんなぼくに嬉しいニュースが。なんと、ぼくの近所にあったカラオケ屋が潰れ、ブックオフになるんだそうだ。ぼくの人生で歩いていける距離にブックオフがあるというのは、これが初めて。電車で何駅も行くか、ママの車に乗せてもらうか、哲先生と自転車をしこたま漕ぐか。これまで「ブックオフに行く」ということはそういうことだった。それがいきなり歩いていける! すごすぎて実感がわかないです。って、どうせ文庫しか漁らないんだけど。

今、ちょっと読んだけど、熊楠おもしろい!   (2005・10・02)



ごあいさつ

とってもスバラシくていらっしゃるのね。モリです。皆さん、トリコじかけの明け暮れですか? ぼくは明け暮れです。安達裕実の結婚が本気でショックです。何を信じて生きていけばいいんだ。このままじゃヤクザ的隠れ国家暴動です。

書籍レビュー、マンガ、エスペラント語(準備中)等、興味のおもむくままになんかウダウダやってます。楽しい、役に立つ、他にはない。そんな何かを放っていければなと思ってます。   (2005・10・01)





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