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佐藤秀峰(さとうしゅうほう)





『研修医を主人公にした着想が見事だ。私自身、女房ががんで闘病中なので、医療問題の深刻さ、難しさにはしばしばぶつかっているが、医療界が苦悶し、悩み、苦しんでいる典型的なケースを研修医を通して鋭く掘り起こし、その矛盾、不条理さを読者に訴えている。こんなリアリティのある作品に出会うことは稀だ。』

のっけから引用で恐縮だが、これは『ブラックジャックによろしく』7巻(現時点での最新刊)に寄せた、田原総一朗のコメントである。

巷で聞くこのマンガの評判は、どれも「リアリティがある」「医療の現実を鋭く抉っている」ってな大絶賛の嵐である。医療っていったら、おそらくかなり専門的な分野だ。多くの人がこのマンガを「医療をよく描けてる」「リアリティがある」と評しているのにまずは驚いてしまう。みなさん「医療の現場」ってヤツをよくご存知みたいですね。ハッキリいいますよ。ぼくは知らん!!

そんな医療の現場に無知なぼくがいうのもなんだが、このマンガにはリアリティがなさすぎる。いや、もうちっと正確に言おう。確かにデータ的なところ、国家医療の問題点、事実に関する話としてはリアルなのかもしらん。先ほども言ったように、この点についてはぼくは完全な素人だ。なんとなく「ああ、そういう問題があるって話はいろんなところで聞くなあ」くらいな判断しかできない。しかし、『ブラックジャックによろしく』が物語としてよくできたものだとはとても思えない。ドラマが臭すぎる。典型的なクリシェだらけだ。そして、一番描ききらなきゃいけないところを、著者の佐藤はイメージ・神話で誤魔化す。つまり、『よろしく』は完全な三文芝居である。

三文芝居だといった。順に説明していこう。まず。このマンガに見られるクリシェについて。これはこのマンガにだけ見られることじゃあないんだが、一般に、裁判モノ、医療モノなどのプロフェッショナルな領域を扱ったドラマは、「冷静で論理的なプロフェッショナル。しかし、他者の気持ちや感情といってものを理解しようとしない、または仕方なしに切り捨て物言うキッパリタイプ」と、「直情型でアホ。熱い思いを持っていて、しばしば問題を起こす。一般論を嫌い、患者や被告などと1:1の関係を築こうとする「迷って悩んでこそ人間」を体現するタイプ」という二つの立場の対立を軸に描かれることがあまりにも多い。読者/視聴者はもうそういう芝居を見慣れてるから、これはよっぽどの工夫がないと、説得力ない対立軸なのだが、『よろしく』はもうこれが完全なクリシェで、まんまな引用になっちゃってんだよね。

前者のタイプのキャラクターを「ブレイン型」、後者のキャラクターを「ハート型」と呼ぼう。主人公斉藤英二郎は、まさにハート型の人間だ。ダウン症の未熟児を助けるために、親権停止を裁判所に申し立てようとしたり、出身大学全てに逆らって患者を別の病院に移したり、はたまたガンの未承認薬を使うためにカルテを書き換えたり・・・。もうやることなすこと全てムチャクチャである。

しかし、なぜ主人公はそこまでムチャをして「患者さんを救いたい」と思うのか。これがサッパリわからないため、対立が真に迫るものとなっていない。そもそも主人公が一体どんな人間なのか。それすらほとんど語られない。作中一度だけ、自分はどんな人間か、主人公が語るシーンがある(一巻「#6最初のウソ」)。

『僕ね……/自分がなんで医者になったのか分からないんですよ……/僕の名前は斉藤英二郎です。親は中学校の英語の先生でその次男坊だから英二郎です……/苗字の斉藤というのも平凡です/それがくやしくて一生懸命勉強しました……/僕は自分が゜普通゜だってことがコンプレックスでした』『僕は……/いい医者になりたいんです……!!』

確かにこんな医者フツウじゃないが、これがいい医者なのかっていったら疑問だろう。主人公の「アツさ」の説明としてはちと苦しい。主人公が暴走する理由としていつも持ち出されるのも『あの患者さんを助けたくないんですか…!?』とか『だって……/宮村さんの笑顔を見たいじゃないですか……!!』である。いや、真っ当な医者なら患者さん助けたいだろう、やっぱし。理由になってないよ。双方が助けたくてやってる努力のどちらが正しいのか、それこそが話の核心なのに、毎回主人公が暴走しまくった末に、なんとなくおざなりな結末で終ってしまう。

象徴的なのは主人公が始めて受け持ちの患者を持つエピソード(一巻)。患者の金子さん(75)は既に意識はなく、肝硬変と腎不全を患っている。オーベンの白鳥は、「患者は常識的に見て助からない。余計な延命は医療財政を逼迫する社会悪だ。利尿剤以外の投与はするな」と主人公に命じるのだが、「患者を助けたい」主人公は、命令にそむき、薬をバンバン投与する。挙句の果てには腹膜透析までやっちゃうのだ。

まず素人のぼくの目から見ても、意識がなくなり、利尿剤つっこんでも尿が出ない75歳が助かる見込みは0%に限りなく近いことくらいわかる。まして国家試験通ってる主人公は、それがわかんないほどバカじゃないだろう(腎臓って何かぐらい知ってるっしょ?)。おまけに対立しているオーベンの白鳥さんのロジック(医療財政の逼迫))には隙がないし、実際彼は、自分が教授になって今の制度を改革するためにはウンコだって食う、『そのくらいの覚悟だ!』と言い切っちゃうアツイ人でもある。つまり、この「暴走」には説得力が全くないのだ。さすがにこれが助かっちゃったらファンタジーなので、現実通り金子さんは死ぬ。遺族に『じいちゃんはいい死に方をしました』と挨拶された主人公。患者を救えなかったことに落ち込むのだが、ふと横にいる白鳥を見ると、なんと彼は泣いているのである!な、な、なんじゃそら。

しかし、この回が一番ドラマとしてはリアリティがあった。白鳥というキャラクターがよかったからだ。単純にハート型とブレイン型の対立で終らず、白鳥というアツイ思いを持っているのに、冷静に医療財源にも気を配る人物が悩み涙する姿は、主人公の暴走のバカっぷりに納得がいかなくても、まあ感動的である(ぼくはこの白鳥さんを主人公にして欲しいよ)。しかるに他のエピソードは本当にひどい。みんな典型的なハート型かブレイン型だ。ブレイン型は目つきまで悪い。アツイ思いを持ちながら、人を救うために冷静になれる、そんなキャラは出てこないのか。話をわかりやすくしようとするためなのか、みんな典型的な人物造詣で、そのため人物間の対立も説教っぽく、どこかそらぞらしい。

加えて、佐藤は、各エピソードの中にヒールを必ず用意する。大学の教授だとか、医局長だとかの「権威」がこれにあたる。もう彼らの顔つきはどこからどう見てもヤクザそのものである。または息が臭そうなハゲのおっさん、そのどちらかだ。自分が悪く描きたいところは小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』レベルでディフォルメするんだけど、こういうディフォルメにも、ぼくはいやらしさを感じてしまう。

「権威は悪」「大人は悪」といった神話をブッたてアジるやり口も好きになれないが、ガンを患ってる患者の背後にムンクのような大きな影を描き込んだり、双子の未熟児がお互いに「心の会話」をしていたりといった表現もインチキ入ってて気持ち悪い。本当はこういうところを、しっかり描かなきゃいけないような気がするのだけれど、佐藤は表現的にも安易なクリシェに逃げてしまう。『俺の心臓は手術までもつんですか?』と聞く患者に、『われわれがもつって言ったらもつに決まってんだろォ!!』って叫ぶヤクザな医者なんかいないよ。マンモス有名病院のまずさを描くのに、こんなやり方はないな。アジビラか?それとも勧善懲悪の水戸黄門なんか?

これだけウソくさい話を「リアリティがある」と言っちゃう評論家って、一体なんなんだろう。思うに、データがでてきたり、専門用語が出てきたり、医療情報研究所の長尾憲が監修してたりっていうんで、みんなそれをありがたがってるだけじゃないの?現実にそうであること、リアルであることと、現実にあるものだと思わせる力、リアリティとをごっちゃにしちゃあまずいでしょうに。現実の設定をマンガに持ち込んだからといって、作品がリアリティを生むとは限らないのだ。本作がその好例である。

そこで考えるのは、話としてはこんだけショボショボの本作が、なぜ1000万部突破の大ヒットになったのか、ということなんだけど・・・。おそらく、みんな医療やその制度のことが楽に知りたいと思ってたんでしょうね。そこに『よろしく』は、マンガというメディアの特性を活かして、医療にまつわるあれやこれをわかりやすく提示した。みんなが欲していたのはマンガの形式をした学習教材だったと。『よろしく』は、言ってしまえば、学研とかが出してる「学習まんが」の類いなんだろう。そして、学習まんがとして見た場合、『よろしく』の完成度は群を抜いている。それがヒットした理由なんじゃないか。帯などの文句が、田原総一朗や立花隆といった「知識人」であって、同業者のマンガ家じゃないのも、その証拠。

とにもかくにも医療問題のあれこれをここまで世間に知らしめたコミックは前代未聞だ。ぼくも医療倫理の「教材」として、研究室に置いてあるのだが、他の医療倫理関係本なんかより、研究室ではよっぽど読まれてる。マンガの力は偉大だ。動物実験だとか、臓器移植だとか、医療従事者のジェンダー差の問題とか、医をめぐる問題はまだまだたくさんある。教材マンガとしての新しい可能性を提示した本作、今後もその教材としての「有用性」に期待したい。



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