誰も教えてくれない聖書の読み方  ケン・スミス(晶文社・2001)




 ↑の本と同じ山形浩生による翻訳本。とりあえず小さな山形マイブームがきてて、気になったので、読んでみた。

 この本の内容はいたってシンプル。文字通り「聖書を文字通り読む」ってだけ。だけど、そうすることでぼくたちが知らなかったり、誤解しているような個所がいくつも発見できる。いわゆるキリスト教原理主義者が主張するようなことはどこにも書いてないし、イエスは神の子だってこともわかりゃしない。さあ、どうだ!ってな感じ。

 フツウこれ読んで「聖書ってそういう本だったんですね。目からウロコでしたあ!」とかなるのかも知らんが、ぼくはそうじゃなかった。なぜって?先に聖書の方を読んでたから。

 もちろん、聖書ってのはおっそろしく長い本だし、それはいくつもの書物を集めたものなわけで(バイブルってのはそもそも「本」って意味らしい)、イザヤ書とかエレミヤ書とかいろいろある。ぼくはその全部を読んだってわけじゃない。手元にある中央公論社から出てる世界の名著シリーズに収録されていたものを読んだだけです。でもそれを読むだけでも、当初思い込んでた聖書のイメージから随分と違う印象を受けて、おもしろいなあと思ったもんだ。

 「みんな都合よく聖書解釈しすぎちゃう?も一度しっかり読みなおしてみようぜ!」ってな著者のメッセージに対し、そんな逆入門(!)のぼくの感想はやっぱりその逆だった。つまり、「聖書にはこう書いてあるのに、なんでそういう風に言われてるの?」って疑問に対する答えが、この本を読んで得られたのがよかった、ってのが読後の感想。その答えは「そういう人たちはちゃんと聖書を読んでないか、無視してるだけだ」ってものらしい。この著者によればそうだって。ぼくもそう思います(それがいいか悪いかはまったく別にして)。

 たとえば、どこぞの教派(ド忘れした。ごめん)では、黒人はカインの末裔であり、だから救われないとされているって話を聞いたことがある。でも、聖書のその個所を読んでも一向に要領をえない。だって、ヤハウェはアベルの仇討ちを目論む人からカインを守るために、いわゆる「カインの徴」ってのをつけたって、聖書には書いてある。一方で守ってるのに、もう一方で救わない?それってどういうこと?って思うじゃないか。 でも、これも著者のケン・スミスに言わせれば「みんな誤解してるよ!」ってことになるわけで、なるほどとやっと合点いたしました。

 聖書を読む前のキリスト教に関する知識としては、小室直樹の本とレジデンツの『ワームウッド』しかなかったぼくにしてみれば、「不条理な神様」のイメージこそが、ポジ像で、「慈愛満ち溢れる・・・」みたいなイメージの方がネガなのね。だから今さら「知ってた?旧約の神様ってすっげーぜ!」ってな感じでいわれても、「ですね」くらいなもの。

 もちろん訳者も言うように、昨今のキリスト教圏で聖書があまり読まれていないのに、原理主義者やテレビ伝導師みたいなんが跳梁跋扈・・・てな事情が、本著が書かれた背景にはあるんでしょう。でも、レジデンツから入ったぼくとしては、それほどショックはなかったなあ。文章はおもしろかったけど。たとえば次の個所。

『神さまはこの世界はあまりに暴力的になったから、地上のほとんどあらゆる生物を皆殺しにしようと思う、とノアに告げる。―創世記6:13』(P.38)

 こういうのには、やっぱり思わず笑っちゃったけど。

 刊行当初、著者にはさまざまな批判が寄せられたらしい。その中でも一番多かった反論のひとつは「キリスト教のことバカにしてる!」ってものだったとか。それに対する著者の反論はかなりイケてる。「ごめんなさい。でも、ここ(聖書)にそう書いてあったんで・・・」だって。

 何はともあれ、あんまり難しいこと考えず、聖書をちょっと読んでみよう。この本より絶対おもしろいから(退屈さもこの本以上だけど)。旧約、特にモーゼがヤハウェの言う通り、何度もエジプトの王様のとこに嘆願にいくシーンとか、エゼキエルだっけ?あの人がウンコで焼いたパンを13ヶ月にわたって食べ、体の左側を横にして寝ることをヤハウェに命じられるシーンとか、ごっつシュールでいいです。

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 しっかし、山形氏、ほんとカバー範囲広いな。あとがきもさらっと書いてるけど、その背景に控えてる教養の深さにビックリするよ。いつもながらいいあとがき書きやがる。

 (自称)フェミニストからすると、P.30の訳注『(セクハラの項を指して)ここんとこ読み過ぎると織作碧ちゃんになるので注意しよう』って個所はズルい!って思ったけど。京極堂シリーズ読者じゃなきゃ、わからんような皮肉。ぼくはセクハラに腹を立てる人はすごくまともだと思うけど、山形さんは違うの?それともちょっと言ってみたかっただけ?織作碧ネタ、この人やたら使うよな。多分当時はやってたんだろうけど。そうです、私、山形が蜘蛛だったのでございます・・・ってか?

 宗教に対する考え方にも少し違いを発見。結局、この人カルヴァンのこと軽視しすぎじゃないかな?ケン・スミスよりずっと前に「もうちょい聖書、ちゃんと読んだらんかい!」ってクレーム申し立てしたのが一連の宗教改革だったと思うんだけど。聖書を丹念に読んで、「神様ってオレたちが信じてる善とか悪とかって価値観からははかれない意図を持ってるんじゃ?」って思い、そこから予定説を導き出したのがカルヴァンだったんじゃなかったっけ。この点でケン・スミスを過大評価しすぎ、キリスト教の伝統を甘く見すぎなんじゃないかと思った。

 本の各部分に独自のアイコンがついててそれはかわいくてよかったな。あと、聖書読むときにまでレジデンツが効いてくるとは思わんかった。レジデンツ、役立ちますぜ。

 あ、あとこの本読むとかなり笑えます。おすすめ。ヨハネの黙示録サイコー。



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