癒しとしての笑い  ピーター・バーガー(新曜社・1999)




 エスノメソドロジー的手法を使った研究で有名な社会学者、ピーター・バーガーの「笑い」に関する研究書(1997)の翻訳。はっきりいってつまんなくて、途中何度も寝てしまいました。で、ここではなんでこの本がつまんないかというのを中心に書いていきたいと思っています。

 まず、実質のわりにページ数が多い。400ページ近くあるのだけど、ジョークの紹介や、著者によるダラダラした記述が続くばかりで、ほとんど見るべき論点がなく、読むに耐えない。紹介されているジョークが笑えないってのも腹が立つ。訳者の森下伸也氏によれば『本書のもうひとつのきわだった特徴は「すごく笑える」ことである』『自信をもって言えるが、もし一度の哄笑もなしに本書を読み終えるひとがいるとしたら、それは「全然なんにもわかってない」ひとである』らしいが、ぼくはちっとも笑えなかったし、だから訳者によれば、全然なんにもわかってないってことになるんだろう。けど、そもそもこの本に何か「わかる」ようなところがあっただろうか。ジョークの紹介と自作のジョーク(らしきもの)の披露に終始するこの本から、何をわかれっていうの?そこにすごく不満を覚えました。

 いや、ジョークのおもしろさがわかんないわけじゃないんです。ああ、きっとこういう意味でおもしろいって思う人がいるんだなあってのはわかりますが、それが「おもしろい」とはちっとも思えないってことなのね。もちろん「自分は笑えない」ってことじたいが、笑いに関するある重要な事実を教えてくれてもいるわけで、まんざら悪いことじゃないとは思うけど、個人的にその点であまり楽しめなかった。

 集められたジョークが文学作品を中心とした古典的なものばかりだというのもネックだね。著者によれば「笑い」という現象を解明しようと思っても、それはほとんど無理なんだそうですが、だったら少なくとも多様な「笑い」の紹介だけでもしてくれてよさそうなもの。が、著者がいい年したジジイ&かなりの保守派ってことが影響してるのか、紹介されている「笑い」がものすごくハイソなのだ。笑いはいたるところにあるとか、民衆のものでもあるなんていうわりに、そこんとこ狭小なのは、それだけでキツイ(まあ、文学作品に偏るのは映像を伴う笑いってのが扱いにくいって事情もあるのだろうけど)。

 で、一番ダメなのは、これだけやって、あまり研究が進んでないところ。笑いは世界の中のズレだとか、宗教的なものとも関係があるって主張をするくらいだけれど、それってベルグソンとか、シュッツが言ってることからたいした進歩がないわけで、「そもそもなんのためにこんな本だしたの?」って疑問がぬぐえない。最悪なことに本書の序章で「まあ、はっきりいって笑いの解明は無理だね」って感じで書いてあるし。自ら正直に「できません」って告白してるわけだから、その分罪は軽いけど、研究するならもう少し野心があってもよさそうなものじゃない?

 でもまあ、こうした事情の全てが著者の責任ってわけじゃない。というのも、「じゃあ、笑いって何よ?」って聞かれたら、やっぱり答えに困ってしまうから。ぼくもおそらくこの著者とどっこいどっこいなことしか言えないだろうな。世界の中のズレがなんたらかんたら・・・で終わっちゃう。だけれど、笑いというのは本当にいたるところに見られる現象なわけで、それを省いた社会科学ってのも、やっぱりインチキくさいわけで・・・。

 というわけで、研究テーマとしては非常に有意義かつ冒険的だと思うんだけど、それが失敗してる、おもしろくないってのがこの本のまずさだってことでした。



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