ニセブッダ



世界で一番なくてはならないモノ、…それは…。光だ。

 香山哲先生が意識的に描いた最初のマンガ。事実上の処女作。先生自ら製作したファミコンソフト説明書型フリーペーパー『フロストネクサス』に掲載された。全3話。「世界で一番なくてはならないものはなにか」「トランプのカードはなぜ全部で54枚なのか」「われわれが未来に残さなくてはならないものは何か」などといった問題についてニセブッダと弟子のリスが問答をする、といった内容。


 ↑漫画太郎ばりのエディトリアルギャグ?? ニセブッダの顔がそれぞれ微妙に異なるのは、おそらく絵柄が変わったというより、ニセブッダのモデルである人物の風貌が時間の経過とともに変化したためだろう。背景の木から推察するに、物語の舞台はキノコ王国あたりに設定されていると思われる。なお、3話のほとんどのコマは2話のコピーだ。


 問いから始まらずに、「わかった、金だ!」などと、問いに対するリスの解答から始まる展開(いわゆるヒキ)もスピーディーで読ませる。リスのそそっかしい性格を少ない紙数で表現できている。導入部に比べたときにオチが弱いけど、今の香山作品にもそういうところはあるわけで、やはり処女作、持って生まれたクセのようなものが見えておもしろい。

 ツッコミどころはいくつかあるけど、一話では「そう、光がなくてはどうしようもないのだ。」というセリフと絵がちゃんと関係あるのに対し、2話以後でのニセブッダは、意味無く光を浴びていることに、とりあえずはつっこんでおきたい。

 
←かっこつけるんじゃねえ! 意味なく太陽の光をただ惰性で浴びるニセブッダ。1話(左)でのニセブッダにはなんとなく高貴なオーラがあるけど、見てよ、2話目(右)のマヌケヅラ。

 3話の最後に「続く」とあるので、哲先生が正直者なら続編があるはずだけど・・・今回、初のネット掲載。一気に3話まとめて読めるぞ! 









巨人ヒュマノス 



神さま、正しいとはどういうことなんです?



 香山哲先生が夜勤明けに一気に描きあげた初期代表作。15ページ。いつもの通り未完。全編これブッ飛んだ名セリフの連発で、数ある先生の作品の中でも「読むドラッグ」度がもっとも高い作品の一つだ。

 ある日「正しいとはどういうことか?」という疑問を持ったヒュマノス(人間そのもの。集団としての一つのもの)が、神にその答えを問いかける。ヒュマノスは神の導きによってメジャノス、セッチュウ、キッパリアのもとを訪れる。

メジャノス「有効回答中99%が「はい」と答えた。故にこの私がメジャノスだ。」

セッチュウ「階層の上昇はつまり、神からの離脱!!」

キッパリア「ほっほっほ。それじゃあ君、ゼロ手読みじゃよ。」

 「正しいとはどういうことか?」という哲学的なテーマを扱っているにも関わらず、出てくるキャラクターがみなおもしろいヤツばかりで決してシリアスにならない。ただし、「正しいとはどういうことか?」との質問に対する神の答えは「つまり、正しさとは形を変える概念なんじゃ。」「なるほどわしにも正しさとやらがようやく見えてきたぞ。」という、なんともよくわからないもので、内容を理解することは困難を極める(けれども、この神の能力の謙虚なところが個人的にはすごく好き)。
 

↑巨大なコンドームに似た愛すべきキャラクター。それがヒュマノス(左)。彼は人間の存在、そのすべてを複合し代表する! そんなヒュマノスからかってなされたことのない質問をされる神(右)。『よくわかる天地創造』に出てくる8-4宇宙神と似ているが、ひょっとしたら8-4宇宙神が住む宇宙とは別の宇宙の神なのかもしれない

 後にきちんと作品化され、形相を持つにいたるアイデアが、マグマのようにドロドロと混じり合った状態で全編にあふれているのも、この作品の魅力。いくつか例を挙げると、神のデザインはその後『よくわかる天地創造』の8-4宇宙神に継承されているし、「神の導きによって主人公がいろんな世界を旅する」という話運びも、まんま『ウィズダムじごく』だ(そのものズバリ「チェス世界」なんかも登場!)。ドグマ出版の前身、「真理コミックス」からの出版という点でも記念碑的な作品といえる。


←ドグマ出版 on lineに登場するヒュマノス。知る人こそ圧倒的に少ないものの、ドグマ世界の古くからの住人として、ここぞというときには顔を出す。ここでのヒュマノスはちょっとアングロサクソン系の顔をしている。「人間そのもの。集団としての一つのもの」であるヒュマノスは、その形状も少々不安定なようだ


 『ヒュマノス』が完結することはおそらくない。だけど、このヒュマノスというキャラクターそのものは、2ページのみ現存する科学マンガ『香山哲のサイエンスマスター ジェネティッククライシスのまき』や、ドグマ出版オンラインのトップページ『この世の果てのアリス 上』の解説(ヒュマノスはヒューマンの語源(ママ)であるということがここで明かされる)、『よくわかる天地創造』の未発表原稿など、さまざまな箇所でその存在を確認されている。

 にんげんとかみさまの対話というモチーフが、頻繁に顔を出す香山哲作品のこと。これからもヒュマノスの活躍に期待したいところだ。






ウィズダムマスター・シリーズ



みんな時間を無駄にした分しか時間を有効に使えないのだ

 かなり初期の作品。確認されているのは以下の5話のみで、5話〜7話はおそらく存在しないといういい加減なシリーズ。公開を前提とせずに作った実験作。というより、マンガ練習作。

1話 踊る為に生まれた少女
2話 真実への接近過程
3話 磁石ヶ原
4話 平成十一年元旦
8話 アプリオリとアポステリオリ

 1話〜4話は独立の1ページもの。それぞれ別々の少女を主人公とし、彼女たちの人生のヒトコマをなんとなく切り取る、切り出す…といったオムニバス形式。それに対し、8話はアプリオリとアポステリオリという言葉について説明するという学習マンガで、文字情報にかなりのウエイトが置かれている。これらのことから考えると、1話〜4話と8話は名前こそ同じではあるけど、まったく別の作品群であると結論づけた方がよさそうだ。哲先生によれば「まあ、なんていうか、あってないようなシリーズしばりだから適当なんだろうね。そもそも「短編集」くらいにしか意味がないタイトルだからね」とのこと。

 それでは各エピソードの内容を以下で紹介するね。


◆踊るためにうまれた少女(1話)

 「人が救われるのだ。しかも、踊りによってだ。」社会主義を絶対安全なものとすべく、踊ることを自己の使命とした少女が、そのことを宣言するだけのマンガ。これ以前の作品、『巨人ヒュマノス』『ニセブッダ』と比べたときの特徴としては、スクリーントーンの使用(S-04 1種類のみ)が挙げられる。少女のモノローグが延々と続くだけの、語義どおりのヤオイ(ヤマなし、オチなし、イミなし)マンガだけど、最後のセリフ「私は踊る為に生まれたのだ。」「社会主義のためにそう信じるのだ」が効いていて、そこに少女の悲哀も滲み出す。


◆真実への接近過程(2話)

 会社の面接を受けた少女が、己の未熟を悟り「どうやら三段論法からやりなおしのようね、うふふ…」といって、面接官を置き去りにするという話。ここでもトーンが使われているけど、文字通り「使ってみました」というだけで効果は薄い。面接のシーンのセリフにもリアリティがまったくないし、おもしろみも少ない。物事を冷静に判断する能力が自分の長所、セールスポイントだと言う少女の愛読書は、ベッドの下にギュウギュウに詰めこまれた横山光輝大先生の三国志(→)。どうでもいっか。


◆磁石ヶ原(3話)

 「NとSどちらが好きか。そんな事を聞かれたら死んでしまえと言われるようなものだろう…。」というほど磁石が好きな女の子が、ある日、N極の方がS極より砂鉄をよく集めるという証拠を手にし、「ありえない!! 全くありえない!!」「ありえない!!!」と悲痛な叫びをもらす…といった話。このエピソードではトーンは全く使用されていない。なんなんだよ、一体。「私は断固として磁石を使いつづける。」というセリフも…いや、勝手に使えよ、みんな既に使ってるよって感じ。ちなみにこの磁石好きの少女の名前は、「よこみちこ」。子供の頃から、マイ砂鉄入れを持っている筋金入りの磁石マニアだ。

 2話と3話は絵としても見るべき点は少ない。


◆平成十一年元旦(4話)

 起きて料理を作ることもできないダメ母と同居する少女が、コンビニで弁当を買う。店員は弁当をあたためてはくれるものの箸を付け忘れてしまう。それに少女は気づかない。おつりの百円玉を眺めながら、物思う少女。弁当は「3色ピラフ」だったが、少女は箸が欲しかったのだ。大学受験まであとわずか。合格すればこの家ともお別れだ。「あと三ヶ月…。」少女はまじまじとスプーンを見つめる。

 香山哲先生の高校時代を元にしたと思われるストーリー、祈りにも似た「あと三ヶ月…。」が胸に染みる。コンビニの店内など、1話〜3話と比べて、かなり描き込んでいる箇所もあり、思い入れの強さを感じる。

 注目すべきは「シネストア」というコンビニ名と、その店員。なんとニセブッダが店員として登場しているのである。ニセブッダ→コンビニの店員→シネストア・・・? そう、ニセブッダは、実はシネ神の本体(わかりやすく言えば正体)がモデルなのだ。シネ神といえば、様々な作品に、アセチレンランプ並みに登場する名キャラクター。そんなキャラクターの重大な秘密が、こんなところであっさり明かされるところが、なんとも哲先生らしい。

←で、でたあっ! ここにもニセブッダが。仕事めんどうそうなのか、普段からなのか、無表情だけど、弁当をあたためるかどうかちゃんとたずねる礼儀正しさ、人の道をわきまえているのはさすが。
 哲先生と夜のコンビニは切っても切れないもののようで、後にこの手の「コンビニ物」として『カスミマートであった人だろ』が発表された。


◆アプリオリとアポステリオリ

 まず、ジョンロック大先生(1632-1704)が登場し「あいまいで無意義な語法や言語の誤用が長くカッコイイとされてきて、ほとんど、ってゆうか全く意味が無くて難解であったり不正な言葉が長く使われているうちに、すごいものだ、マジックワードだと思われてしまっているので、話す者も聞く者もそういったおろか者を説得してそんな言葉はいらないとわからせるのはさぞかし大変だろうなあ……」とグチる。それを受けてブレーン様がアプリオリ・アポステリオリという言葉はどういう言葉かを説明してくれる。一通り学習が終った後、「レベルあげはもうじゅうぶんだ!区別魔カントをこらしめに行こう!」とのシュプレヒコールが巻き起こり、ボスキャラカントを倒す…といった内容の教育マンガ。

 哲先生が大学に在籍していた時、後輩が一般教養の哲学の講義の内容が理解できずに困っていた。サービス精神旺盛な哲先生は彼女たちをマンガを通して教育したというわけ。

←『ウィズダムじごく』に登場するブレーンさま。威厳があって近づきにくそうだけど、知恵のないものにも優しい。「以心伝心!」という必殺ワザもあるし…こんなブレーンさまにならついていきたい。

 この8話は重要。ウィズダムマスターシリーズという名前といい、ドラクエ的なスイッチ&レベル上げ進行といい、またここで初めてマンガ内に登場するブレーンさまといい、『ウィズダムじごく』のアイデアの芽がそこかしこに感じられるからだ。『ウィズダムじごく』の構想は相当古いもののようで、少なくとも『アリス』や『天地創造』よりも先に『ウィズダムじごく』がアイデアとしてあったようだ。

                

 この8話に登場するブレーンさま。基本的なデザインは『ウィズダムじごく』のそれと変わらないが若干の変更点もある。8話でのブレーンさまには黒目がちゃんとあるが、『じごく』でのブレーンさまにはそれがない。逆に『じごく』に登場するブレーンさまには頭上にウィズダム木のみと思われる果実がのっかているのに対し、ここでのブレーンさまにはそれがないといった感じ。

 話し方も「やいキサマら! お前さんたちは新聞よんだりしたぐらいで知識がふえたなんて思ってんじゃないだろうな!?」だとか「オレはブレーンさま。知の神である。かつ、言わずと知れている。まずはお前さんたちにアプリオリとアポステリオリの意味を教えてやろう。かつ、お前さんたちはそれだけじゃわからんだろう。よって、その後に解説してやる。よって、よろこべ!」って感じで、8話のブレーンさま、かなりスパルタ、体育会系なノリで付き合いにくそうだ。このブレーンさまでウィズダムじごく…うーん、やっぱりちょっと考えられないよね。